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SUMMARY:北岡泰典「サピエンス全史」を大いに語る。
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DESCRIPTION:イベント詳細はこちら\nhttps://techplay.jp/event/63468
 4?utm_medium=referral&utm_source=ics&utm_campaign=ics\n\n◎当日のタ
 イムテーブル\n\n19:00　開場\n\n19:30　北岡さんと角川ト
 ークセッションスタート\n\n21:00　交流会スタート\n\n22:
 30　クローズ\n\n♦北岡泰典（きたおか　たいてん）\n\n
 変性意識研究家。1956年、和歌山県田辺市生まれ。早稲
 田大学卒業後、北アフリカのサハラ砂漠に渡り、約3年
 間大手企業の仏語通訳に従事。以前から東洋西洋問わ
 ず、精神世界の分野に興味をもっており、80年代初め
 に、合衆国オレゴン州で 7ヶ月間の心理療法講習を体
 験。1985年NLPの出会いで、英国ロンドン市に滞在。ビジ
 ネスコーチング、通訳業務等に従事。ジョン・グリン
 ダー、リチャード・バンドラー、ロバート・ディルツ
 、ジュディス・ディロージャの「NLP四天王」から直接
 直伝トレーニングを受け、正式認定を受ける。2002年帰
 国後は、海外での20数年のNLP研究を生かし、国内でNLP
 を活用したコーチング・セッション、ワークショップ
 、資格コースを数多く実施。現在に至る。\n\n♦ 著書\n
 \n・NLP入門書「Magic of NLP」\n\n・ジェニー・Z. ラボード
 著「 ビジネスを成功させる魔法の心理学」翻訳\n\n・
 ジョン・グリンダー＆ジュディスディロージャ著「個
 人的な天才になるための必要条件」翻訳\n\n・北岡泰典
 著「5文型とＮＬＰで英語はどんどん上達する！」（ダ
 イヤモンド出版）\n\n・北岡泰典著「一瞬で新しい自分
 になる30の方法」（ダイヤモンド出版）\n\n◎対象\n\n「
 サピエンス全史」が好きな方\nこれからの新しい行き
 方を模索する経営者＆ビジネスマン\n新しいヒントを
 得たいクリエイター\n新しい発想や哲学＆思想を垣間
 見たい方\nいろいろ悩んでいて、それを打破したい方\n
 各界にイノベーションをおこしたいひと\n\n以下書評で
 す。\n\n最近、ある親しい方から、「とんでもない人類
 の歴史書を読んだ。頭の中の思考形態が革命的に変わ
 った」という意味のことを言われ、その歴史書を強く
 勧められたので、読んでみました (ちなみに、この方
 からの推薦がなければ、どれだけベストセラーでも、
 私は、この本を読むことはなかったと思っています)。
 \nその本は、ユヴァル ノア ハラリ著『サピエンス全史
 : 文明の構造と人類の幸福』です。たしか、数日前に
 、紀伊国屋本店で「ビジネス書売れ筋 No.1」になって
 いたかとも思うので、読者の方で読まれた方もいらっ
 しゃるかもしれません。\n私は、原書 (『Sapiens: A Brief H
 istory of Humankind (サピエンス: 人類の歴史概観)』 by Yuval 
 Noah Harari) で読んでみました。\n以下に、私の感想を記
 します。\n\nまず、英語版は読みやすいです (ただし、
 元々の原書はヘブライ語版のようです)。\n\nこの著者
 はユダヤ人の歴史家で、英語の構成と文体はかなり安
 易で、「ある程度以上の英語力」をもっているのであ
 れば、翻訳の質は確認していませんが、英語で読まれ
 た方がいいと思います。\n\nちなみに、何本か、ハラリ
 氏の Youtube 動画も公開されていますが、同氏の話す英
 語も、日本人にとってかなり理解しやすい英語だと思
 いました。\n\nその、ハラリ氏の Youtube 動画についてで
 すが、けっこう、『サピエンス』についてよりも、む
 しろ続編の『Homo Deus: A Brief History of Tomorrow (神としての
 人類: 未来の歴史概観)』についての動画が多いことに
 気づきました。\n通常、これだけ「重要で、革命的」
 な大作の歴史書を書いた後は、普通は、いわゆる「ネ
 タ切れ」して、「二番煎じ」的な本ばかり書くことに
 なってしまいそうだと思いましたが、非常に珍しいこ
 ととして、印象的には、Youtube 等では、実はこの続編
 の方が本編より重要な書に見られているようにも思え
 たので、この続編を Amazon から購入し終えていて、『Sa
 piens』を読み終えたので、これから読んでみようと思
 っています。読了したら、また書評を書きたいと思っ
 ています。\n\n続編の『Homo Deus』の日本語翻訳はまだ出
 版されていないようなので、現在、翻訳者が必死に翻
 訳している最中だと思われます (笑)。\nただ、数日前
 に『ホモ・デウスDVD BOOK』が宝島社から出版されてい
 ます。どうも、これは、ハラリ氏の講演ビデオの内容
 の翻訳のように思われますが、91 分という収録時間か
 ら言って、以下の Youtube 動画 (「Yuval Noah Harari on the Rise
  of Homo Deus」) と同じ内容のビデオ収録かと思います。\
 nhttps://www.youtube.com/watch?v=JJ1yS9JIJKs\n該当の DVD の内容を
 実際に確認していないのですが、かりにもし同じ収録
 ビデオであるなら、正式な翻訳本出版以前のこういう
 商売の形態は、非常に興味深いと思いました。\n\nとい
 うことなのですが、内容的には、『サピエンス』は、
 私にこの本を勧めた方が示唆したように、とんでもな
 い歴史書だと思いました。\n以下、私の具体的な感想
 を列挙します。\n\n1) まず、著者には、強烈な「メタ (
 観照者)」の視点があると思いました。\n\n誤解を恐れ
 ずに言うと、私は、現代の工学的、社会的インフラと
 してのコンピュータ、インターネット、IT、VR (仮想現
 実)、AR (拡張現実)、IoT (Internet of Things)、AI (人工知能) 
 等のテクノロジーを生み出す基になっているのは、60 
 年代の「カウンターカルチャー」的思考形態だ、と首
 尾一貫して主張してきていますが、この歴史書も、か
 なり「ぶっとんだ人間」でないと、構想も、執筆もで
 きない内容になっています。\n\nちなみに、私が言う「
 『カウンターカルチャー』的思考形態」とは、たとえ
 ばですが、「意識拡張剤」や瞑想等の手段で、人間意
 識を超えて「神的意識」を体験した人がもう一度現象
 界に戻ってきて、その神的世界を、人間的意識を使っ
 て表現する、ということを意味していますが、ハラリ
 氏もそういう人間の一人であることは間違いないと思
 います (実際、同氏は、「意識拡張剤」については明
 示的な言及はしていませんが、第 19 章の「化学的幸福
 感」の節で、人間の幸福感は外界に依っているのでは
 なく、ドーパミン、セロトニン、オキシトシン等の脳
 内麻薬の分泌のし方に依存している、と明快に主張し
 ていますし、また、本の中で、数ヶ所、「執着を超え
 て現実をあるがままに捉える」ための「仏教的瞑想法
 」を極めて高く評価しています)。\nちなみに、私個人
 は、私の言う「『カウンターカルチャー』的思考形態
 」が、現在の国内のビジネスマンのモデル企業となっ
 ている Apple、Microsoft、Google、Facebook、Amazon (最近なら、
 Tesla も含まれると思います) 等の CEO の中に深く根づい
 ている、と信じています。\n\nこれは、60 年代のカウン
 ターカルチャー運動家たちが提唱した「既成の枠を超
 えた人間意識の拡張」のパラダイムの中で機能してい
 ない人が、これほど「幻視家」のようなビジョンをも
 ち、これほど未曾有で革新的なビジネス モデルを提唱
 し、実現させることは不可能だろう、と私は考えてい
 るからです。\n\nその意味で、今後、日本人で、上記の
 アメリカのモデル企業を創始した「幻視家」、あるい
 は、その流れを組むハラリ氏のような「文化の牽引家
 」が現れるとしたら、私の言う「『カウンターカルチ
 ャー』的思考形態」が第一の必要条件となると思うの
 で、国内で、「カウンターカルチャー」が死語になっ
 ていることは、私には、実に極めて残念な状況です。\
 n\n2) この本は、歴史を見る目を根本的に変えると思い
 ます。\n\nたとえばですが、かなり意外なことですが、
 著者は、「農業革命」以前の「Foragers」 (直訳すれば、
 「食糧をあさり回る人」ですが、事実上、「狩猟・採
 集家」のことです) の社会・文化形態の方を「高く評
 価」していて、通常、学校で歴史的に意義があると学
 ぶ「農耕社会」については、「ある一定の場所に人間
 を人為的に定住させ、それまで『狩猟・採集家』とし
 て進化してきていた人間の脳と身体には合わない生活
 形態を強引に強いるようになった」という意味の非常
 に興味深い主張をしています。\n\nまた、現在、我々は
 、アメリカ、電球、自動車、インターネットその他の
 文明的要素にすでに慣れている思考形態 (= 一定のボッ
 クスあるいはパラダイム) の中でしか物事を考えるよ
 うにしかできなくなっていますが、『サピエンス』は
 、アメリカ、電球、自動車、インターネットがなかっ
 た時代に、人類はどういう思考形態をしていたか、に
 ついての「ボックスから出た」、「メタの視点」から
 の歴史の振り返り方を如実に教えてくれます。\nたと
 えばですが、コロンブスがアメリカ大陸を発見したの
 は 1492 年で、「たかだか」500 余年前です。\n\nたしか
 に 500 年は、学校で学ぶ歴史としては、非常に長い年
 月に思えますが、かりに現在 50 歳の人がいれば、その
 人の人生の 10 倍程度でしかなく、また、少なくとも、
 ヨーロッパ人は、ギリシャ・ローマ時代から 3\,000 年
 間は、北米と南米の新大陸の存在は「まったく知らず
 にいた」といった視点をもって、世界史を振り返るこ
 とは、まずないと思います。\nこの意味では、電球、
 自動車が発明されたのは、百余年前ですし、インター
 ネットが発明されたのは、二十余年前です。これらの
 文明的要素がなかったときに人類はどういう生活をし
 ていたか、について考えることは、「ボックスから出
 る」訓練になると思います。\n\nたとえば、1784 年に、
 英国で、当時の交通手段としての乗り合い馬車の時刻
 表が世界で初めて作成されたそうですが、当時は、出
 発時刻はあっても到達時刻はなかったということです
 。これは、市ごとにまちまちの独自制定の時間があっ
 て、たとえば、ロンドンが 12:00 であっても、リバプー
 ルは 12:20 だったり、カンタベリは 11:50 だったり、し
 たからでした。\n\n1830 年に英国に商業的鉄道が開通し
 、10 年後に列車の時刻表ができたときに「標準時間」
 決める必要性が出てきて、鉄道会社がグリニッジの時
 間を標準化して、その後、1880 年 (たかだか 140 年前で
 す) に英国政府によって正式に「グリニッジ標準時」
 が制定された、ということです。\n\n訪れる市ごとに時
 間がまちまちだった時代に生きていたら、どうなって
 いたかを考えることは、実に興味深いことです。\n\n3) 
 ハラリ氏は、人間の思考が作り出すものは、国家、宗
 教、文化、科学、哲学、主義を含めて、すべて、「人
 間の想像物」だという (私自身の表現ですが)「精神的
 アナーキズム」とでも言うべき立場を取っています。\
 n\nただし、同氏によれば、人々、特に社会の構成員が
 「信じ込んだ」場合の想像物は、「嘘」ではなくなる 
 (すなわち、「実際に影響力」を行使する「共同幻想」
 となる) ということになります。\n\n言い換えれば、日
 本も、大和魂も、神道的な神も、すべて、自分が「日
 本人」と信じている人々が、日本国家と「思われる」
 共同体によって「信じ込まされている」だけの相対的
 幻想、ということになります。\n\n私は、個人的は、こ
 の「精神的アナーキズム」は、「現象界から神的意識
 に向かう」ための方法論を明示化したロバート シャイ
 ンフェルド氏 (シャインフェルド氏については、「新
 北岡遇辺メルマガ」で詳述しています) の立場につな
 がるものがあると思っています。言い換えれば、シャ
 インフェルド式世界観で世界の歴史を概観した著作が
 『サピエンス』だと言える、と思っています。\n\n4) ハ
 ラリ氏は、「帝国主義」に関しては、かなり好意的に
 見ているようです。\n\n同氏は、歴史的に、アジア・ア
 フリカを中心とした、トルコ、インド、中国等の帝国
 主義は、宗教とお金を通じて、すなわち、経典にある
 神の命令を絶対視し、貨幣統一を行うことで、領土拡
 大を図った「既存の世界観の拡張」主義でしかなかっ
 た一方で、15 世紀に「大航海時代」に突入したスペイ
 ン、ポルトガル、オランダや、その後の英国、フラン
 ス等の帝国主義は、宗教とお金に加えて、「科学技術
 」をも活用した点に、明確な違いがある、という、極
 めて興味深い事実を指摘しています。\n\nすなわち、科
 学的技術に基づいた近代帝国主義者たちは、「自分は
 科学的には『何も知らない無知』である」ことを明示
 的に、かつ率直に認め (!)、その上で、自分の「世界地
 図」の外にあるもの (たとえば新大陸) を積極的に知ろ
 うとして、「大航海時代」を開始し、コロンブスのア
 メリカ新大陸の発見を実現させた、ということになり
 ます。\n\nさらに、この帝国主義者たちは、科学は完璧
 ではなく、仮説は、実際の実験と検証の過程の中で、
 常に覆されるためにあることを知っていた (!)、ともハ
 ラリ氏は示唆しています。\n\nこの近代ヨーロッパ帝国
 の「認識的拡張主義」(これは、私自身の造語です。英
 語では「Cognitive Expansionism」になります。『サピエンス
 』では、「認識革命」という用語が使われています) 
 の例としては、各国が新大陸の調査のために派遣した
 調査団に植物学者、地質学者、民俗学者等を随行させ
 た、ということですが、実際に、1831 年に、英国海軍
 の軍艦ビーグル号に乗船した地質学者が、ガラパゴス
 諸島等での研究で進化論に決定的な業績を残したチャ
 ールズ ダーウィンでした。\n\nまた、近代帝国は、植
 民地を統治するためには、土着の言語と文化を知る必
 要があると考えていて、インド統治下の英国官僚は、
 カルカッタ大学で 3 年間学び、英国と当事国の法律、
 サンスクリット語、ギリシャ語、ラテン語、数学、経
 済学、地理学その他を習得する必要があった、という
 ことです。\n\nハラリ氏は、このような「認識的拡張主
 義」に基づいた帝国主義は、科学的革命を経た近代ヨ
 ーロッパの国々だけに見られ、トルコ、インド、中国
 等の東洋の帝国は、目に見える既存の利益を拡張する
 ことだけに興味があり、新しい未知の領域を征服しよ
 うとした例は一度もなかった、と指摘しています (新
 大陸に対する非欧州国からの歴史的に最初の軍事遠征
 は、1942 年 6 月の日本海軍による (ミッドウェー作戦の
 一環としての) アリューシャン列島のアッツ島とキス
 カ島の上陸だった、ということです)。\n\nちなみに、
 近代ヨーロッパ帝国がこぞって、「認識的拡張主義」
 に基づいて新天地を求めた一方で、アジアの諸帝国は
 、そうしようと思ったらできたのに実際にはしなかっ
 たことを如実に示す資料として、中国明朝の鄭和の宝
 船とコロンブスの船の規模を比較したイラストが以下
 のページにあります。\n\nhttp://erenow.com/common/sapiensbriefhi
 story/sapiensbriefhistory.files/image055.jpg\n\nここで興味深いこ
 ととして、『サピエンス』では、大日本帝国について
 の記述は特に見当たりませんが、この戦前の日本の帝
 国は、近代のトルコ、インド、中国等のアジアの帝国
 と同様、認識的拡張主義に「基づかない」、「既存の
 世界観の拡張」を図るだけの帝国だったと言えると思
 います。\n\n一方では、近代ヨーロッパの歴史は、首尾
 一貫して、認識的拡張主義に基づいた歴史で、コロン
 ブスのアメリカ大陸発見、アメリカ独立宣言、東海岸
 からカリフォルニアに向かった「ゴールドラッシュ」
 、奴隷解放、電球・自動車・飛行機・電話・ラジオ・
 テレビの発明、不幸な二つの世界大戦後の「核軍縮」
 、アポロ 11 号の月面着陸等を経ながら、1960 年代後半
 の「カウンターカルチャー」の「意識の革命」を契機
 として起こった、現代のインターネット革命、IT 革命
 、分子生物学 (DNA／遺伝工学) 革命、等の歴史の流れに
 も、この認識的拡張主義が綿々と継続されてきている
 、という、『サピエンス』読了後の私の見解は、うが
 りすぎた見方でしょうか。\n\n私は、上記に、「今後、
 日本人で、上記のアメリカのモデル企業を創始した『
 幻視家』、あるいは、その流れを組むハラリ氏のよう
 な『文化の牽引家』が現れるとしたら、私の言う『「
 カウンターカルチャー」的思考形態』が第一の必要条
 件となる」と書かせていただきましたが、実は、この
 「『カウンターカルチャー』的思考形態」と「近代ヨ
 ーロッパ帝国の『認識的拡張主義』」はイコールで結
 ぶことができると思います。\n\nかりにこの等価公式が
 妥当性をもって成立するのであれば、国内では、正式
 に輸入もされないまま死語になっていて、誰も理解で
 きなくなっている「カウンターカルチャー」の概念を
 、国内の人々に対しては、「認識的拡張主義」と言い
 換えていけばいいだけということになります (笑)。\n
 ここで興味深いことは、「認識的拡張主義」とは、あ
 くまでも「自分の世界地図の拡張」であって、「自分
 の世界地図の否定」ではない、ということです。\n語
 弊を恐れずに言うと、アメリカ大陸を発見したコロン
 ブス、メイフラワー号でアメリカに渡った清教徒たち
 の「命知らずさ」と第二次世界大戦末期の神風特攻隊
 の日本人零戦飛行士の「命知らずさ」の間には、もし
 かしたら差異はそれほどなく、違いは、命をかける対
 象だけにあった、と言えるかもしれません。\n\nすなわ
 ち、前者は「自分の世界地図の拡張」 (すなわち「自
 分ありき」) に命をかけ、後者は天皇 (すなわち「他者
 ありき」) に命をかけただけの違いかもしれません。\n
 \nちなみに、私が過去 30 年にわたって研究・教授して
 きている NLP と、その発展系である私独自の「実践的
 顕魂学」は、まさしく「認識的拡張主義」の精神を個
 々人の実際の生活でいかに具現化できるかのためにだ
 け開発された「実践的方法論」であり、「資格取得の
 ための表面的な技能」などではないことは、言わずも
 がなです (笑)。\n\n5) ハラリ氏によれば、現代社会にお
 ける最新の、遺伝子を操作する「分子生物学 (DNA／遺
 伝工学) 革命」は、東アフリカでホモ サピエンスが生
 まれた 20 万年前から現代までの「アナログ的進化」を
 超越して、人間が「創造主」になりえる「デジタル的
 進化」を開始した、ことになります。\n同氏は、この
 革命を「生物学的」、「サイボーグ的」、「無生物的
 」エンジニアリングの三層に分けていますが、この過
 程で、人類は神になる、と提唱しています。\n \n以上
 が、私の書評です。\n\n「人類が神になる過程」を著し
 た、ハラリ氏の続編の『Homo Deus: A Brief History of Tomorrow (
 神としての人類: 未来の歴史概観)』が、いったいどう
 いう展開になるのか、今からワクワクしています。\n
 ちなみに、ハラリ氏の書も、私の書評も、「近代西洋
 帝国主義至上主義」の嫌いが強いと思いますが、私自
 身、この立場も、他のすべての主義と同様、究極的に
 は、どうでもいい「想像の産物」であることは認識し
 ています。\nただし、ハラリ氏の提唱する歴史的世界
 観は、極めて説得性のある「共同幻想」であり、グロ
 バーリゼーションを標榜する世界の各近代国家の政治
 、経済、文化が、「実際に」この歴史的世界観で分析
 可能になる形で、動いている以上、そして、『サピエ
 ンス』が国内でもベストセラーとして受け入れられて
 いる以上、この「共同幻想」は、もはや「嘘でなくな
 った想像」であると言わざるをえません。\nさらに、
 私は、個人的には、日本人も、「この『認識的拡張主
 義』という列車」に乗らないと、この「どん詰まりの
 状況」から脱出することはまず不可能ある一方で、仮
 に今からでもこの列車に乗る用意があるのであれば、
 神風特攻隊の DNA が残っている (すなわち、潜在的には
 、「西洋人以上の『堅物』の認識的拡張主義者」にな
 れる) はずの日本人が、近い将来再度世界を牽引する
 ことも夢物語ではない、と思っています。\n\n追記 (17/7
 /25):\n上述にある「近代西洋帝国主義至上主義」あるい
 は「認識的拡張主義至上主義」について、本文執筆後
 に、ある方から「この考え方は『絶対的な妥当性』が
 あると思いますか?」という質問を受けました。\n\nこ
 れにつきましては、私は、「認識的拡張主義」(「近代
 西洋帝国主義」) は、ハラリ式の分析的観点か見れば
 、世界の歴史の動きが非常に明快に理解できる、とい
 う「実利性」があるという理由から、「一応」、現存
 するうちで「ベストの世界地図」ではないか、と見て
 いるだけで、「絶対的な妥当性」はない、という立場
 にいます。\n\n私は、それ以上に妥当な「世界について
 のモデル」が存在するのであれば、それを発見した以
 降は、「認識的拡張主義」については口にすることは
 なくなると思います。これについては、「『カウンタ
 ーカルチャー』的思考形態」についても、NLP について
 も、同じことが言えます。\n\nまた、かりにもし「認識
 的拡張主義」(「近代西洋帝国主義」) を否定したいの
 であれば、万人 (というよりも、特に、これらの主義
 の提唱者たち) が「納得できる形」で、それ以上妥当
 性があると思われるような認識論的世界地図を提示す
 ればいいだけの話ですが、ただ、これには、相当のコ
 ミットメントと努力が必要となると思います。\n\nなぜ
 ならば、認識的拡張主義者、すなわち、近代西洋帝国
 主義者たちは、「科学は完璧ではなく、仮説は、実際
 の実験と検証の過程の中で、常に覆されるためにある
 ことを知って」いて、かつ、「各国が新大陸の調査の
 ために派遣した調査団に植物学者、地質学者、民俗学
 者等を随行させ」、「土着の言語と文化を知る必要が
 あると考えていて、インド統治下の英国官僚は、カル
 カッタ大学で 3 年間学び、英国と当事国の法律、サン
 スクリット語、ギリシャ語、ラテン語、数学、経済学
 、地理学その他を習得する必要があった」ということ
 だからです。\n\nそういう「自分の世界地図の外にある
 もの」を知ろうとする努力もしないで、単にナイーブ
 に自分の世界地図にしがみつくのは、いわば「ガキの
 喧嘩」と表現されるべきで、残念ながら、「大人の喧
 嘩」ができる西洋人 (近代西洋帝国主義者) に言い負か
 されてしまうのは当然の帰結だと言えるかもしれませ
 ん (笑)。\n\nインターネットに象徴されるグローバリゼ
 ーションがこれだけ広がっている現代社会で、「(たと
 えばの例ですが) 『英語』を話す機会がないので、日
 本人は英語ができない。できなくて当然だ」という論
 理はもはや通じなくなっていると思います。\n\n興味深
 いことですが、現時点で、インターネットの英語文献
 は、自動翻訳でも読めますが、通常、頭の痛い日本語
 文しか生まれてこないことは、誰でも知っています (
 笑)。私は、今後どれだけ AI が発達しても、「完全自
 動翻訳」は不可能だと思っていて、その意味で、「い
 つか、努力しなくても英語の翻訳が読めるようになる
 」という「希望的観測的な『他力本願』」は捨てた方
 がいいと思います (笑)。\n\nちなみに、これは、「非常
 に重要な文化論」になると思うので、あえてこの議論
 をさらに続けてみますが (笑)、「今後どれだけ AI が発
 達しても、『完全自動翻訳』は不可能だ」という私の
 立場は、40 年前 (!) の 1970 年代後半に、早稲田大学の
 言語学教授の故川本茂雄氏が大学の講義で説明されて
 いたことに基づいています。川本教授の主張の一部は
 、私の初期のメルマガで参照可能です。\n\nhttp://www.crea
 tivity.co.uk/creativity/jp/magazine/backnumbers/002.htm#kawai\n\nまた
 、つい最近、完全日英バイリンガルの方が「完全自動
 翻訳の実現は不可能だろう」と言っているのを聞きま
 した。\n\nなぜ私が「完全自動翻訳」は不可能だと思う
 のかの根拠は、川本教授の説明に示唆されているよう
 に、日本語の文章のある要素が「統語・構文」的にど
 ういう位置を占めているか、についての緻密な徹底的
 分析は、無数のデータを集めて「帰納法的」な解析を
 する、いわゆる「ビッグデータ解析手法」がどれだけ
 発達しても、もともと、とうてい不可能だからです。\
 n\n(私が、以前英国でソフトウェア関連の「ローカライ
 ゼーション翻訳」をしていたとき、「事実上の標準規
 格」の翻訳支援ソフトである Trados を使用するように
 翻訳会社から「強制」されましたが、私は、このソフ
 トはまったく嫌いでした。Trados は、単に、新しく出て
 くる文章群と既存の文章群との間の (コンテンツを無
 視した)「チャンク比較」をして、その類似性が 100% な
 のか 50% なのか 0% なのかを判定して、もし 100% であれ
 ば、既存の翻訳をそのまま使い、0% なら新規翻訳の必
 要が出てきて、50% なら一部「手動で」編集翻訳し直す
 、という指針を与える一方で、統語・構文・文法的な
 側面を「完全無視」したソフトでした。統語・構文的
 に複雑な長文しか書かなかったプルースト至上主義者
 の私が、そういうソフトを好きになるはずはありませ
 ん (笑)。)\n\nちなみに、最近話題で、かなりの将来性
 がありそうな「ディープラーニング」でも、私には、
 おそらく、人間の脳と同じくらい正確なレベルでの「
 完全自動翻訳」は不可能では、というふうに直感的に
 思えます。\n\nこれは、もしかしたら、「純粋なメタ (
 観照者)」は、ゲーデルの不完全理論が示唆するように
 、「常に既存のボックスを出た何か」であり、「アプ
 リオリ (先験的)」に、「演繹法的」に、「外から与え
 られる何か」なので、「『既存のものを基盤』にした
 学習」ではけっしてそのメタ的視点を生み出すことは
 できない、というメカニズム (このメカニズムは、ハ
 ラリ式の「神としての人類」と関連してくると思いま
 すが) と関係しているように思えます。\n\nその意味に
 おいては、私は「シンギュラリティ否定論者」である
 と形容できるかと思います (ただし、私個人は、AI が
 人間を超えることを心配するよりも、人間が神になる
 努力をすべきだ (笑) という、極めて興味深い立場を取
 っています。かりにもし、人間が神になることがシン
 ギュラリティの一種と定義できるのであれば (定義可
 能と思いますが)、その意味において「のみ」、私は、
 「シンギュラリティ肯定論者」であると形容可能です)
 。\n
LOCATION:NEURO TOKYO（JR千駄ヶ谷・銀座線外苑前　それぞれ
 徒歩10分） 東京都渋谷区神宮前2-13-2 ユハラアネックス
 ビル2F
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