Laboro

Laboro.AIコラム

私たちが画像生成AIで描くものは、アートか、それとも心か

2023.1.7
監 修
株式会社Laboro.AI 執行役員 マーケティング部長 和田 崇

概 要

2022年は、文字から絵を描き出す画像生成AIが人々の手の届くものとなり、爆発的に躍進した一年となりました。ユーザーが入力したテキストをもとに画像を返すこのプログラムは、印象派のようなアートから魅惑的なポルノまで様々なイメージを生み出し、その完成度はますます高まっています。もはや漫画でさえ、ストーリーがあれば画像生成AIでつくれるようになりつつあります。

AIとアートの未来についてさまざまな議論がなされていますが、ひとつ確かなことは、AIによって絵を描き始めた生活者によって、生活者に開かれたアートの時代がやってきたということです。多くの人にとって見ることを楽しむものだった絵による表現の領域で、画像生成AIによって自分の心の情景を絵に変える楽しみが、生活者の間に広まっています。

目 次

心に描くことができれば、絵は描ける
 ・「自転車をこぐダース・ベイダー」を描くAI
 ・ノートの切れ端でも、画像生成AIでも
表現をめぐるSNSの攻勢が反転する
 ・一人よりも、みんなで
 ・見る側からつくる側へシフトする
描き、つくり続けるために
 ・既に存在するもので再構築する
 ・表現はコミュニケーション
画像生成AIによって、AIが生活者のものになる
 ・言えない気持ちをAIに託す

心に描くことができれば、絵は描ける

「自転車をこぐダース・ベイダー」を描くAI

DALL•E2、MidJourney、Stable Diffusionなど、AI業界の2022年は画像生成AIの躍進が話題をさらった一年でした。文字入力から絵を描くこれらの画像生成AIは、「宇宙服を着たシバ犬」「傷ついた気持ち」といった抽象的な概念を絵としてアウトプットするものです。あらかじめ数十種のスタイル(例えば、アニメ風、鉛筆デッサン、ストリートアート、油彩、VFX、ピクセル画といったようなテイスト)から選んでAIが画像を生成するサービスも次々と登場し、つくられる画像の幅は広がっています。

完全に表現できているとは言えないまでも、その可能性は多くの人に感じられるところで、昨年ついに一般にリリースされたある画像生成AIでは1日に400万のイメージがつくられていると報告されています

photo by Kevin Hodgson

では、人々が画像生成AIを用いて何から描き始めたかというと、「自転車をこぐダース・ベイダー」「真珠の耳飾りの少女をラッコで」「国民的アニメキャラのバロック美術風肖像画」など、有名な作家やスタイル、人気のキャラクターなどで生成を楽しんでいるように見られます。こうしてつくりだされる現段階のAIの絵の多くはまだ、クリエイターのファンが描いたファンアートを思わせるものの域にあります。

考えてみれば当たり前のことですが、AIを使えば絵が描けるとは言え、何を描くのかが先になくてはAI であっても絵を描くことはできません。画像生成AIがこれだけ注目を浴びるのは、「描く」という行為が身近でない人々が多かったことの現れなのかもしれませんが、日常の中でふと “ 心に描く ” 忘れられない情景は、どんな人にもあるものです。

ノートの切れ端でも、画像生成AIでも

終戦から29年目の5月某日、広島のNHK中国本部に小林岩吉さんという一人の被爆者が、自分が描いた広島の原爆の絵を持ち込みました。小林さんは応対したディレクターを前にし、「まぶたに焼き付いて離れん」「死ぬまでに描き残そうと思うた」と話したそうです

この絵をきっかけに、市民の描く原爆の絵をテーマにしたNHK番組が放送され、広島の人々に向けて「原爆の絵」を募集するキャンペーンが行われました。2002年に行われた第2回目の募集と合わせて、現在、広島平和記念資料館には4,000点を超える「原爆の絵」が保管されているそうです

市民による原爆の絵は、最初の一枚が小林さんの持ち込んだ黒いサインペンで描かれた素朴な絵であったこともあって、それをみた被爆者の「私もやってみよう」と思う心を動かすことになりました。さらに市民の背中をもうひと押ししたのが、キャンペーンで投げかけられていた次のような言葉でした。

“ 紙は何でもいいんです。ノートの切れ端でも、広告の裏でもいい。うまく絵に描けなかったら、絵でなくてもいい。絵の中に、言葉で、文字で説明してみてください

photo by Damien Pollet

専門的な美術の知識も道具も使わずに描かれた市民の絵には、彼らの心に浮かぶ情景が、文字と絵を使ってありありと描かれています。まず描きたいものを言葉で表現するという行為もまた、絵を描くことの一部に間違いありません。画像生成AIは、今を生きる人に限らず、残された手記からも絵を描くことを可能にするはずです。

表現をめぐるSNSの攻勢が反転する

一人よりも、みんなで

「心から離れないこの情景を表現したい」という人の思いさえあれば、チラシの裏にボールペンで絵や文字を使って描くことも、 AI を用いて絵をつくることも違いはありません。ただそれを一人でやるのとみんなでやるのとでは、心理的なハードルは大きく変わってくるものです。

喜びであれ、悲しみであれ、何かを伝えたいと思う人の心は制限できるものではありませんが、SNSが普及してからクリエイターが最も恐れてきたのは「市民レベル」の検閲だそうです

photo by fdecomite

過去にはクリエイターが権威やスポンサーよりもSNSのコメントによって厳しく批判され、活動を続けていくために創作を自主規制するという本末転倒の事態に追い込まれることもありました。しかし今、SNSでは、画像生成 AI が様々なハッシュタグに使われ、「画像生成AIで娘のために絵本を描いてみた」「スティーブン・キングのホラー小説に挿絵をつけてみた」など一般の人々が自らSNSで続々と発信し始めています。

つまり、表現する側の立場としてSNSコミュニティで発信する人が急速に増えているということは、人の作品にコメントするだけだった検閲者のような人が少数派となり、大多数の表現者によってクリエイターの存在が脅かされる逆転社会がやってくることも想像されます。

見る側からつくる側へシフトする

実際、絵の分野においては、画像生成AI以前にお絵かきアプリやCGイラストなど、さまざまなデジタルツールで絵を描く楽しさが膨らみ、若い世代を中心に見る側からつくる側へと人々がシフトしたことがありました。

2021年に日本発で世界におけるダウンロード数第1位のアプリに輝いたのも、お絵描きアプリでした。この ibisPaint(アイビスペイント)は、誰でも指一本でプロ顔負けのイラストがつくれるアプリで、SNS機能がついているため、できあがった絵をシェアし、世界中のユーザーからの反応を楽しむことができます。

そして、画像生成 AI に入力する「何を描くか」の指示の言葉が“呪文”やプロンプトなどと呼ばれ、1.99 ドルで売買されるまでになっている。若い世代を中心にさらに画像生成AIが受け入れられ、活用され、たくさんの生活者が絵をつくることを楽しむようになる今後、何が起こるのでしょうか。

photo by Susan Murtaugh

描き、つくり続けるために

既に存在するもので再構築する

画像生成AIは、インターネットから収集した膨大な量の「テキスト – 画像」のペアを用いて学習させているため、AI がつくる絵には世界に既に存在するものが使われていることになります。単純に投入されるデータで考えれば、次世代のAIモデルは人間の脳と同じ約100兆個のパラメータ数に達すると推測されており、近いうちにAIが人と同じようなベースで作品をつくりだすようになると言えなくもありません

ですが、子どもの頃からダウンロードやコピー&ペーストに慣れたデジタルネイティブは、どこかAIのように完全なオリジナルに固執せず、パーツを組み合わせて再構築することで何かを生み出そうとし、それを自然と受け入れているようにも見えます。

photo by Cambodia4kids.org Beth Kanter

2021年に41歳という若さで逝去したファッションブランド、オフホワイトの創設者であり、ルイ・ヴィトンのアートディレクターを務めたヴァージル・アブローは、時代を先駆けて次のような「チート・コード」を提示し、成功を収めました。

“ 既存のコンセプトに 3% の手を加えるだけで、革新的とみなされる文化的貢献ができます ”
“ DJ が曲を少し編集するだけで革新的な曲になり、デザイナーはハンドバッグに穴を開けるだけで、自分の足跡を残すことができるのです

表現はコミュニケーション

既存のものから3%異なる面白いアイデアなら、自分にもできそうな気がしてしまいますが、実際のところアイデアは作品においてどれほどの重要性があるのでしょうか。

1960年代に保守的な美術に対抗するものとして現れた、技術よりもアイデアをより重視するコンセプチュアルアートという分野があります。コンセプチュアルな視点で1960年代後半から光と知覚をテーマに制作を続けてきた現代アーティスト、ジェームズ・タレルの言葉を借りれば、アートは次のような性質を持っているものです。

“ Art is a completed pass. You don’t just throw it out into the world – someone has to catch it.(アートは一方通行ではない。世に出すだけではなくて、誰かがそれを受け止めなければならない) ”

photo by Andreas Schalk

こうした考え方に倣えば、AIに何を描かせるのかを発想するだけでなく、人の反応を楽しむことにも意義が見出されます。プロアマ問わずすべての表現者を許容し、すべての人を参加者と呼んで成長してきたコミックマーケットもそうですが、表現することへの寛容性が、「私も描いてみよう」という人々の意思の源泉になるはずなのです。

画像生成AIによって、AIが生活者のものになる

言えない気持ちをAIに託す

歴史を振り返れば、印刷技術によって複製が可能になったとき、そしてカメラや写真が普及したとき、これらテクノロジーの登場によって人が絵を描くことをやめることはありませんでした。むしろ、それらを用いた新しいアートの概念が生み出されてきました。

もとより私たち自身が、“イメージ製造機”であるとも言えます。神経科学からロボット工学に及ぶ最先端の研究でわかっていることとして言えるのは、私たち人間は感覚器から入ってきた情報をイメージに変えて記憶しており、脳内に蓄積されている情報の多くは、有り余るほどのイメージによって成り立っているということです

photo by Susanne Nilsson

空に浮かぶ「雲」も、世界に存在する「人間」も、一つとして同じではないはずなのに同じ言葉で表現できてしまうがため、言葉にするとパターン化されて陳腐になってしまうことも少なくありません。ですが、うまく言葉にならない感情、例えば「悲しい気持ち」の一言を入れるといくつかの絵で応えてくれる画像生成AIは、殺風景な言葉に埋め尽くされた日常に、少し豊かな感情の行き場をつくるものになるようにも思えます。

芸術という枠にとらわれず、絵画やイラストを生成したり試作したりする人の数を劇的に拡大させることが、実は画像生成 AI が私たちにもたらす最も革命的な変化と言えるかもしれません

photo by Dick Thomas Johnson

私たち人間が自身にインプットする情報の2割は聴覚から、そして8割は視覚から得ていると言われており、その情報量は600倍にもなるという試算があります。裏を返せばアウトプット側も同様、私たちにとっての写真や絵画などのイメージは、言葉では言い表せない感覚的で、直感的な意味や概念、感情までをも含めた豊かな表現を可能にするものだということです。

AI はこれまで、生活者にとって実感のないような場で使われることが多かった技術かもしれませんが、画像生成AIという新たなテクノロジーが登場し、AIで絵を描く活動が浸透を見せ始めたことによって、生活者の一人一人にとっての表現の可能性が大きく広がりつつあります。

「芸術」という厳格な枠で眺めてしまうと、確かにAIによって生み出されたこれらの画像たちの中には邪道なもののあるかもしれません。ですが、メールにしても、SNSにしても、自分の考えや感情を文字や文章でしか伝えられなかったこれまでを思うと、私たちの「表現」の一つとして、絵的に心の情景を伝え、受け取る可能性をAIが与えてくれるのであれば、私たちのコミュニケーションのあり方は、より一歩豊かなものになるような気がするのです。

私たちは今、画像生成 AI によって、絵を描く行為を進歩させるだけでなく、 人間同士の以心伝心を新たにする AI 時代の節目に立ち会っているのです。

カスタムAIの導入に関する
ご相談はこちらから

お名前(必須)
御社名(必須)
部署名(必須)
役職名(任意)
メールアドレス(必須)
電話番号(任意)
件名(必須)
本文(必須)

(プライバシーポリシーはこちら