星野リゾートとパーソルホールディングスがDX導入事例や苦労を語る──パネルディスカッションから学ぶ【PERSOL DX STUDY #6】
(プロフィール)
パーソルホールディングス株式会社
グループデジタル変革推進本部 ビジネスITアーキテクト部
部長 朝比奈 ゆり子氏
星野リゾート
情報システムグループ
グループディレクター 久本 英司氏
パーソルプロフェッショナルアウトソーシング株式会社
SBU企画本部 経営企画部
経営企画室 室長 関野 瞬氏
リモートワーク・スクラム導入までの流れ──パーソルホールディングス
前半のセッションは、パーソルホールディングスの朝比奈ゆり子氏が最初に登壇。2019年11月に現職の前身組織の部長に就任して以来、今日まで続けているリモートワークならびにスクラムアジャイル開発の導入について、「人材」「開発環境」「驚異(壁)」と主に3つの指標を軸に、紹介した。
朝比奈氏が統括する部門は、パーソルグループ全社が利用する、人事、会計、ワークフロー、デジタルマーケティングツールといった、バックオフィス系ツールの企画・開発・運用を行っており、約80のシステムを実際に手がけている。
「着任当初は、メンバーはまだ10名と少なく、しかもそのうち過半数が新卒、入社2年目の社員でした。実際の開発はほぼ全て、外部の協力会社に依頼というか、依存している状態で、開発環境もウォーターフォールでしたね」(朝比奈氏)
このような状況を危惧した朝比奈氏は、外部SIベンダーとの取引のみを行う部門・業務から脱却し、真にパーソルグループの全メンバーが使いやすいシステムの構築を目指す。そして、開発環境をスクラムやアジャイルに刷新することを決意した、と振り返る。
内製化してスクラムイベントがしやすいようにと、モニターやパネル、座席などを確保して準備した。だが新型コロナウイルスにより、全社にリモートワークの推奨がアナウンスされる。
「グループ各社で拠点が分散していたこともあり、在宅勤務も含め、リモートワークの環境は以前から整っていました。しかし、当初は新型コロナウイルス対策ではなく、東京オリンピック・パラリンピック対策でしたし、完全にフルリモートワークになったら、さすがにシステムがダウンするだろうと。そうした観点からも、システムの開発・運用体制を再構築する必要がありました」(朝比奈氏)
実際にフルリモートでのスクラム開発が始まったのは、2020年の7月。多くの企業にスクラム導入の支援を行っている、Scrum Inc. Japanの力を借り、スクラムマスター・プロダクトオーナー研修などを実施。もちろん、これらの研修も全てフルリモートで行った。
「メンバー全員でリアルに会えたのは、スクラムの成果が見え始めていた10月くらいでした。同時期は、フルリモートが常態の働き方として定着した時期でもありました。正直、特に新卒のメンバーに関してはリモートどころか働くことに慣れていませんから、何から教えればいいのか。メンバー同士の関係構築は、どのように行えばいいのか。課題は多くありました。
また、開発環境の刷新に伴う新たなツールの導入においては、セキュリティや支払いなどが既存の社内ルールと合致しないといった壁もありました」(朝比奈氏)
朝比奈氏はこのような壁を、「自分たちはなぜ、スクラム開発の導入などの取り組みを行っているのか。具体的にどのようなツールを開発したり、環境を構築したいのか」と、事業を進める上での根幹とも言える想いを熱く語ることで、突破してきた。
同じく、人材のスカウトに関しても同様の手法で、徐々にメンバーを増員。現在ではグループのメンバーは100名以上(内プロパー約30名)に増えたと説明し、セッションを締めた。
新型コロナウイルスによるDX導入事例──星野リゾート
続いて登壇した星野リゾートの久本英司氏は、コロナ禍・緊急事態宣言の影響による危機的状況とその対策について語り、2つの具体的なDX事例を紹介した。
「2020年4月の緊急事態宣言の影響で、売上は前年比9割減まで落ち込み、このままでは数カ月後に会社が立ち行かなくなる危機的状況に陥りました。しかし、いずれ事態は必ず収束する期間限定の危機でそれまで生き残ることが重要というトップの決断のもと、様々なサバイバル施策を実行しました。その中から、私が所属する情報システムグループ(以下、情シス)が行った、ITに関する取り組みを紹介します」(久本氏)
【事例】大浴場の混雑状況可視化システムを実質3週間で内製開発
遠方への旅行が厳しくなったが、近場への旅行、マイクロツーリズムの需要はあった。ただ当然、三密は避けなければならない。食事は各部屋でとるなどして対応できるが、温泉旅館の一番の魅力ともいえる大浴場での三密という課題が残った。
当初、現場からは大浴場の下駄箱にWebカメラを設置し、その状況を滞在ゲストに公開することで、対応しようとの案もあった。しかし、「そのような監視システムがあってはお客様がリラックスできない」と、情シス側からカメラではなくセンサーを使い、混雑状況を把握・公開できるシステムを提案し、開発に乗り出す。
「私たちは普段からシステム開発だけでなく、ホテルのIT環境の整備など、リアルなインフラやIoTデバイスの整備も担っています。IoTデバイスの経験も、PoC(Proof of Concept:概念実証)ならありました。
ただ、市販のIoTデバイスでは、不具合・不都合が生じたときの調整がネックになる。端的に言えば、最終的に機能させるまでのスピードに課題が出てしまう。そこで自社のエンジニアがすぐに対応できるよう、あえて、内製で開発することにしました」(久本氏)
センシングに詳しいエンジニアはいなかったが、IoT開発パートナーのMAGLABに協力を仰いでIoTやセンサーについて学び、kintoneやAWSを活用し、6週間でシステムを完成させた。
実際には通常よりも半分の稼働状況であったため、「実質3週間で作った」と久本氏。内製されたシステムはすぐさま15施設に導入。実装においてもリモートで指示し、実際に稼働した。客や旅館スタッフは、スマホで簡便に温泉の混雑状況がわかるようになった。
【事例】Go To トラベルキャンペーンシステムを2週間でリリース
続いて、紹介されたのは、Go To トラベルキャンペーンのシステム対応だ。
「GoToトラベルキャンペーンが旅行代理店経由の申し込みのみとなった場合、自社比率が高い星野リゾートは利益が大きく低減することがわかっていました。そこで自社チャネルでGo To トラベルキャンペーンの申し込みができ、仕組みを構築することが必要だと考えました」(久本氏)
だが、Go To トラベルキャンペーンの実施については詳細がなかなか決まらず、曖昧な事案も多かった。
しかしそのような状況下であっても、開発だけは着手しておくべきだと判断。先の大浴場案件リリースの直後の6月から開発に着手する。夏休みギリギリのタイミングの7月10日に突然、キャンペーンの具体的な内容が発表された。
「かなりバタバタでしたが、発表された仕様に沿って機能を追加していき、何とか7月27日にシステムをリリースしました。システム以外の準備で一部間に合わなかったことがあり、販売は8月17日から開始。詳細発表から約2週間でシステムリリースにこぎつけ、販売までを含めても1カ月で達成することができたのは大きな自信につながりました」(久本氏)
久本氏がリーダーを務める情シスは、数年前にパートナーメイン、プロパーのメンバーわずか4名という状態でスタートした。当時は現在のようにDXが注目されていなかったが、今後、間違いなく必要だと感じていた。さらに、DXを実現するには開発体制は内製化する必要があると判断する。
サービスの現場に出ていた他部署のメンバーの社内異動に加え、キャリア人材を採用して開発体制の規模を拡大。現在では、軽井沢、東京、京都に拠点を構え、31名の社員が在籍している。紹介したようなシステムの開発・運用から、顧客の開業支援など、多くのタスクを自前でできる体制を整えており、現在も体制整備はブラッシュアップ中だ。
パネルディスカッション、イベント参加者との「Q&A」で盛り上がる
続いては、パーソルプロフェッショナルアウトソーシングの関野瞬氏をモデレーターに、朝比奈氏と久本氏のパネルディスカッションを実施。参加者からの質問へも積極的に回答した。
Q:フルリモート環境の実現に向けて苦労したことは?
朝比奈:ハード的な環境作りにおいては先ほども説明したように、特に負荷なく進めました。しかし、実際にフルリモートになってからの苦労は多くありました。会社の風土や文化をまだ理解していない、新入社員へのマネジメントやチームビルディングです。
当初はネットワークの問題でカメラなし、声のみのコミュニケーションであったことも問題でした(※現在はネットワークを補強してカメラありで会議出来るようになっている)。声だけで、その人が何を考えているのかを把握するのは、難しいからです。たとえば、「大丈夫」と発言するメンバーが本当に大丈夫なのか。対面で表情を見ていないため、くみ取れないからです。特にマネジメントする側の不安が大きかったようです。
その後、トライアンドエラーを重ねた結果、仕事の内容を共有するのではない、いわゆる雑談によるコミュニケーションの場を作ることが、効果的だとわかってきました。そこで、飲み会、ティータイムといった雑談の場を意識的に設けることで、チームビルディングを高めていきました。
久本:結論から言えば、情シス全体でもエンジニアの開発チームにおいても、スタート当初からリモート環境であったため、特に今回大きく変えたことはありません。ただ現在の体制が整う以前に、内製化に向けた取り組みの苦労はかなりありました。
当初目指していたのは、DevOpsな開発環境の構築で、パートナーメインで進めていました。しかし数年かけて検証を重ねた結果、無理だとの結論に至りました。そこで内製化を経営陣に提案するのですが、「餅は餅屋だろう」との理由で却下。であれば、とにかく内製化の実績を出そうと、エンジニアを1人採用したのです。
重要なのは、この最初の1人の人選、ファーストペンギンがかなりポイントでした。スキルはもちろん、当社の文化を理解できること。単にシステムや仕組みを開発するのではなく、その先、ビジネスやオペレーションにおける課題解決を、しっかりと運用において成果を出せる人材であることでした。
1年ほどリサーチして、パートナーとして共に仕事をしていたエンジニアが適任だと思いました。そのエンジニアが偶然にもパートナー企業を退社すると聞き、ぜひ一緒に働かないかと声をかけました。実は2人目のエンジニアも、以前一緒に仕事をしていたパートナーです。ここから先のエンジニア採用においては、苦労することはわかっていたので作戦を立てました。
エンジニアには最先端技術を使うことが好きだったり、その上で開発したシステムが仕事の成果だと捉える人が少なくありません。しかし私たちが求めているのは、運用を重視するなど、ビジネスドリブンで開発できる、まさに先の2人のような気質のエンジニアです。
そこでエンジニアが集まるイベントに登壇し、プロジェクト事例や取り組んでいることを紹介したり、SNSでの発信によって、星野リゾートが求めるエンジニア像を、明確に打ち出していきました。
並行して、社内のエンジニアたちとも話し、どのような環境を求めているのかをヒアリングし、フィードバックすることもしました。現在では先に紹介したような規模に成長できました。今後もまだまだエンジニアを増やしていく計画です。
Q:スクラムを導入して変わったことは?
朝比奈:スクラムを導入して一番よかったのは、自分たちの働き方を見直すきっかけになったことです。それ以前は、マネージャーから指示された業務をこなすだけだったチームが、スクラムを導入してからはメンバーが活性化しました。
本当に実行する意味があるのかをエンジニア目線ではなく、顧客の視点に立ち、そしてチームのメンバー全員で意見を出し合いながら、進める体制に変わったからです。その結果、特に開発チームの生産性は、4倍以上にも高まっていると手応えを感じています。
今後はこの成功事例を他部門にも広めていくことで、生産性効率の向上の輪を全社に広げたいと考えています。
Q:おすすめのSaaSサービスは?
久本:UI/UXのデザインでは、astahとFigmaを使っています。ホワイトボードに書いていた内容を、メンバー誰かのastahをZoomで共有しながら、Zoomの手書機能を使用して皆でディスカッションする、といった具合です。
ユーザーストーリーの作成では、StoriesOnBoardを使い、業務要求を抽出しています。そしてここから先、エンジニアチームではプロセス管理のかんばんの代わりはGitHubで。スプリントについては、スプレッドシートを使っています。また振り返りではBeanCanvasやMiroを使っています。
朝比奈:私たちもFigmaやMiroはよく使っています。ただ当社の場合、Microsoft 365がベースにあるため、セキュリティの観点から導入に際しては検討が必要な場合があります。
一方、Miroはボードが多すぎてよくわからないという課題があったので、ボードリストをHTMLで作成しました。ちなみにそのコードは、プログラミングを初めて書いたメンバーによるものです。
そのほか、先に紹介したとおりオンラインでの雑談を考慮し、バーチャルなオフィス空間が構築できるoViceというツールも使っていますが、IPアドレスの制限やセキュリティなどの問題で使用が限定されたり、業務時間にカウントされるなど、正直、今ひとつ使いこなせていません。
Q:DXに対する見解について
久本:デジタルがビジネスに入ってくると、ITに求められるものががらりと変わります。パートナーメインで進めようと思ったのですが、うまくいきませんでした。そこで、内製化して自前でデジタル能力を身につけようと、今に至ります。
個人的なDXの見解については、以下、経産省の定義がしっくりきています。
[企業がビジネス環境の激しい変化に対応し、データとデジタル技術を活用して、顧客や社会のニーズを基に、製品やサービス、ビジネスモデルを変革すると共に、業務そのものや、組織、プロセス、企業文化・風土を変革し、競争上の優位性を確立すること]
※経済産業省より
この定義を私たちの事業に重ねると、単にITをデジタル化するだけでなく、業務、組織を変革し、その結果として宿泊体験というサービスを変革することこそ、星野リゾートにおけるDXではないかと。
具体的には、業界においてはデジタルを活用し、運営力を高めることで差別化を考えています。一方、ビジネス全般としては、世界最高のデジタル宿泊体験を提供することで、他の観光業も含め差別化をしていきたいですね。
Q:予算確保について
朝比奈:定性・定量両面の導入効果を明確に示しました。ただ実際に予算が確保できたのは、やはり「絶対に組織が変わるんだ」という情熱だと思います。変わった結果、より良い成果ならびに成長していることを、強く提案しました。
久本:私たちのビジネスモデルは、ホテルのオーナーから運営費をもらい、その決められた金額の中で、コールセンターや今回紹介した情シス部門の運営などを行っています。
しかし、情シスは投資額が大きかったため、運営費の中でカバーするのが難しくなりました。そこで、システムの使用料・運用料は別途設けようとの結論に至り、ホテルのオーナーが支払うシステム利用料以上の価値があることを説明するスキームを構築しました。このスキームの構築が大変でした。
Q:従業員の特徴やカルチャーについて
朝比奈:パーソルグループでは基本、それぞれの会社で採用を行っています。そのため各社それぞれに従業員の特徴やカルチャーがありますが、今のチームはまさに私が着任当初から目指している”自らが主体となって変革の主体者になる!”という意識を持てていると思います。
久本:星野リゾートでは職種に限らず、全メンバーがフラットな組織文化で仕事をする、との共通の価値観があります。具体的には上意下達ではなく、各チームのメンバーが会社の価値観の中で自由に意見を言い合い、仕事を進めていきます。
このカルチャーは、情報シス部門もまったく同じです。そしてカルチャーに共感してくれる人を採用したい。入社後はさらに組織文化を理解してもらうフォローも行っています。