行列ができる繁盛店でも、端末に並ばず受付完了 ——JINS「JINSスマート受付」プロジェクトはなぜ成功したのか
新しい顧客体験はデジタル抜きには語れない——JINSの「JINSスマート受付プロジェクト」
「JINS」ブランドのメガネで知られる、株式会社ジンズ(以下、JINS)。1987年の創業以来、研究開発から生産販売までを一貫して展開している。「メガネをかけるすべての人に、よく見える×よく魅せるメガネを、市場最低・最適価格で、新機能・新デザインを継続的に提供する」のが、企業戦略だ。
世界で初めての3点式眼電位センサーを搭載した、センシング・アイウエア「JINS MEME(ジンズ・ミーム)」や、近視進行抑制メガネ型医療機器の開発など、その高い技術力でも知られている。
デジタル化は同社の企業戦略の最重要課題だ。「これまでの延長線上で、ただメガネを作って売るだけではいけない。もっと決定的にお客様の体験を変えていかなければならない。新しい体験はデジタル抜きには語れない」と、ジンズホールディングス代表取締役CEOの田中仁氏も語っている。
デジタル化による新しい顧客体験の創造の一例が、今回紹介する「JINSスマート受付」プロジェクトだ。スマホアプリと連動することで、スマホから受付・視力測定の順番予約が可能になり、視力測定などの待ち状況をリアルタイムに確認することができる。
プロジェクトマネージャーを務めた河野氏は、下記のように説明する。
「東京の銀座店とダイバーシティ東京プラザ店で先行的に導入したシステムで、既存のメガネ購入のオペレーションとは異なり、お客様が自分のスマホでフレームのQRコードを読み込むことで、お客さまご自身で受付ができるオペレーションを実現しました。お客様の負担を減らすだけではなく、店舗スタッフの負担軽減なども狙いにしています」(河野氏)
株式会社ジンズ
グローバルデジタル本部 デジタル推進部 デジタル推進室 河野氏
全社のデジタル推進を担当。プロジェクトマネージャーとしてサービス要件定義や、店舗への落とし込みなどを担当。中途入社3年目。前職はコンサルタントファームで小売企業に対するデジタルサービス企画。
従来は、購入するメガネを決めるとそのフレームを持って、顧客自らが店頭カウンターに設置された受付機(iPad)のところまで行く必要があった。
視力測定の希望など、必要な情報を入力すると、受付番号が記載されたレシートが発行される。その番号を見ながら、受付の順番が来るまで店内で待機してもらうというのが、顧客への対応オペレーションの基本だった。
しかし、繁盛店の週末ともなると、店内は人であふれ、iPadの前には行列ができる。受付をするためだけに、20〜30分並ぶことも稀ではない。ましてや受付番号が発行されてから、実際に購入相談や視力検査が受けられるまでに、1時間かかることもあるという。
「今まではお店にいないと、自分が何番目なのかがわかりませんでした。JINSスマート受付であれば、手元のスマホで順番がわかるので、あと1時間待ちだと分かれば、それまで店舗を出てお好きなことができるようになります。そういった待ち時間も、ストレスなく有効に活用していただけるようになりました」(河野氏)
課題は常に現場にある──営業・PM・エンジニアは足繁く店舗に足を運んだ
顧客が受付機の前で行列を作るという問題は、東京地区を担当するエリアディレクターの市村氏も、日頃から感じていたことだった。
「メガネ販売業界では、じっくり接客して高単価の商品を売る、という業態もありますが、当社の場合は、店頭における顧客回転率も重要な指標になっております。その向上が高品質の製品を低価格で提供することにつながりますし、結果的に顧客満足度の向上にもつながると考えています。そのためには、店頭オペレーションの改善と効率化は極めて重要な課題となります。社内のエンジニアの力を借りて、ITでオペレーションの効率化と顧客体験の向上ができないかと、以前から考えていました」(市村氏)
株式会社ジンズ
営業本部 第二営業部 エリアディレクター 市村氏
国内JINS店舗の地域統括として、主に東京都内の店舗のうち8店舗を担当。本プロジェクトと開発現場のつなぎ役。2006年中途入社。
銀座店は、斬新かつ遊び心のあるブランドショップで、月に平均2,000人以上の購入実績がある。そのうちインバウンド顧客が60〜65%を占めるのは、銀座という土地柄だ。
また、ダイバーシティ店は大型店舗で、欲しい製品を持って受付に行くまでの動線が長い。両店とも新規システムが導入しやすい環境があり、JINSスマート受付による効果を測定しやすいことも、最初の導入店に選ばれた理由だ。
河野氏もまた、年に何回か店舗ヘルプという形で店舗に赴くことがあり、実際にiPad受付をするまでに行列ができている状態を自分の目で確認している。課題の所在について、営業とPMの認識にずれはなかった。
その意向を受けて、実際に開発を担当したのが、エンジニアリンググループに所属する内田氏だ。実は、内田氏もよく店舗に顔を出すことがある。「実はチャットをするのが得意ではないので、トラブルの報告があると、見たほうが早いと動き出すタイプなんです。おそらくデジタル部の中で、一番店舗に通った人間です」と自負するほど、店舗のことをよく知っていた。
「プロジェクトの話を聞いたとき、そんなに複雑なものではなかったので、まあまあ普通にできるかなと。だから“拾った”というのもあります。もちろん細かなところで技術的な障壁はありましたが、全体的にいえばできるかな、という感覚でした」(内田氏)
株式会社ジンズ
グローバルデジタル本部 ITデジタル課 エンジニアリングG 内田氏
内製開発のプログラマーとして、さまざまな案件に自由にトライする。中途入社4年目。前職は受託開発系スタートアップのエンジニア。
“拾った”というのは、内田氏が普段は特定案件に縛られず、自分がやるべきだと思えば、全社ベースのシステム改善から、店舗ネットワークの改修、店舗のiPadやプリンターのトラブルシュートに至るまで、「自由に」動ける立場にいるからだ。
「私の働き方は、JINSの中でも特殊かもしれません。上司からほぼ“放し飼い”されているんです(笑)。基本的にやりたいことをやる。IT部門内でも、困っている人がいたら手助けします。 ビジネスサイドでも、何かを実現しようとしている人が立ち止まっているときに、それをサポートするということが多いんです。今回の件は、たまたま個人的にスケジュールが空いていて、それができるスキルがあったので、チームにジョインしました」(内田氏)
こういうスキルが高く、ノマド的に自由に動けるエンジニアが、組織に一人でもいるのはとても頼もしい。
「内田さんをプロジェクトに誘ったのは上司でしたが、彼の仕事ぶりは私も知っていたので、彼の手が空いていると聞いたときは、これでプロジェクトが速く進みそうだと思いました」(河野氏)
実際、内田氏は営業・PMを交えた最初のミーティングから、わずか1週間後にはモックアップを完成させた。実際に動くものではないが、オペレーション改善の流れは辿れる。何もない状態で延々と議論するより、形があって見えるものを前に議論した方が、話はスムーズに進むということがよくわかっていたのだ。
スモールスタートでスピーディーに。ロールプレイで問題点発見
スモールスタートで速く進めるというのは、3人の合意だった。プロジェクトがスタートしたのが、2023年1月。2店舗の配備が完了して、新しいオペレーションが稼動したのは4月という、極めてスピーディーな展開だった。とはいえ、いきなりの店舗導入ではなく、模擬店での実証実験を間にはさんでいる。
「今回は、お客様だけでなく、店舗スタッフにとっても新しいオペレーションになるので、千代田区の本社にあるスタジオに、店舗を再現した部屋があるのですが、そこに市村さん、内田さん、当時の両店の店長、さらに営業部のメンバーなどを集めて、ロールプレイを行いました。 モックアップを触ってもらい、オペレーションがちゃんと回るか、改善した方がいいところは何かを話してもらいました。その場に内田さんがいて、それは技術的に改善可能かどうかを即断してくれたので、進捗も速く、より使いやすい形でリリースできたのかなと思っています」(河野氏)
一般的に多忙を極める店舗では、個々のスタッフがオペレーションに課題を感じていても、それを本部に報告したり、改善提案をしたりすることは時間も手間もかかるため、なかなか声を発することができない。その点、今回は店舗の実情を知るエリアマネージャーの市村氏が、本部の開発チームと橋渡しをすることで、現場をよく知るPMとエンジニアがその課題を自分ごととして、解決することができた。
ただ、スタジオでのシミュレーションでは、1つ疑問が寄せられた。
「これまではお客様が商品を受付に示すと、店側は店頭在庫から同じものをお出しして、元の商品は商品棚に戻すというオペレーションでした。しかし、JINSスマート受付では、商品棚にある個々の商品のQRコードを読み取るだけで申込みが終わります。 そうすると、店舗側には商品ナンバーしか伝わらないんですね。もちろんそれでも在庫を探せますが、実際のフレームを見た方が、在庫からのピックアップは速いんです。 当社の店舗スタッフはフレームの形状を見ただけで、それがどこの在庫棚にあるかすぐわかりますから。そこで、受付レシートに商品番号だけでなく、フレームの画像も出してほしいと、内田さんにリクエストしました」(市村氏)
実際の現場のオペレーションを考えれば、画像は必須だと市村氏は判断したのだ。そのリクエストを受けると、内田氏は「それ実装できますよ」とさり気なく答えた。
「QRコードで画像を呼び出し、レシートに挿入するのはそう難しいことではありません。ただ、もともとのデータベースの画像がカラーなので、モノクロのレシートに印刷すると、モノトーンの色相が薄くなってしまう。そのあたりは、画像調整を加えて、より鮮明に出すように工夫をしました」(内田氏)
ここでも“放し飼い”エンジニアの即戦力が発揮されたわけだ。
エンジニア採用強化奏功。社内チームワークと内製力が成功の鍵
こうしたプロジェクトワークが、JINSでは昔から当たり前かというと、そうでもない。これまでは要件定義までは社内で行うものの、開発は外部の協力企業に任せることが多かった。
大規模システムであればそれも当然だが、小規模システムかつ、スモールスタートで始めるプロジェクトでは、外注に頼んでいては時間ばかりがかかってしまう。
「私は入社して今3年目なので、昔から知っているわけではないのですが、確かに入社した頃は、外部のベンダーさんを使うことが多かったと思います。 ただ同時に、その頃からJINSの中で営業とデジタルと企画がちゃんとワンチームになってやった方がいいよね、という流れが出てきました。 JINSの内製力を高めて、まずはPOCで小さく回し、それをスケールアップしていくスタイルがいいね、ということがいわれるようになりました」(河野氏)
「数年前まではコードを書ける人が社内にほとんどいなかった。JINSスマート受付プロジェクトの前に、プログラマーが現場に行って意見を聞いて、たまたまうまくいったプロジェクトがあって、内製力の重要性に気づき、そこからエンジニアの採用を拡大するようになりました」(内田氏)
今回のJINSスマート受付プロジェクトは、エンジニア採用強化が徐々に効果を表し、社内だけのチームワークと内製力で成功した初のプロジェクトであり、今後のモデルケースになるものだといえる。
チャレンジと失敗が許容される文化があるからこそ生まれる「新発想」
今回のプロジェクトを振り返り、3人はこう語る。
「やはり、現場と本部のコミュニケーションを取ること、本社の人間もどんどん現場に足を運ぶことの重要性を痛感しました。 最近こんなことに困っているとか、お客さんがこういう行動をしていたよとか、店舗スタッフとの何気ないカジュアルなコミュニケーションの中で気づくことも多かったのです。 特に私のようなPMの立場の人間は、ちゃんと自分で情報を取りにいって、それをどうするか、何を次につなげるかを意識していくことが欠かせません」(河野氏)
「今回のプロジェクトは、私たちとしても未来につながる企画だったと思いますね。現場から出たアイデアを本部が確認、フィードバックして店舗とデジタル部が一体となって、顧客満足度を高める施策に取り組みました。 幸い、銀座店・ダイバーシティ店ではお客様からもスタッフからも、高い評価を得ています。銀座店を訪れたインバウンドのお客様からは、“日本のメガネ屋さんって進んでいますね”と驚かれたりもしました。これが1年後、2年後には当たり前になっているようにしたいと思います」(市村氏)
「当社には、チャレンジすることを推奨する文化があります。何か能動的に自分からアクションを起こしてベストを尽くした上で失敗したということに対して、誰かが叩いてくるとか、そういうことはありません。 大きな失敗をしても、叩かれたりすることは基本的にないんです。ただ自分で改善しないと何も始まらないんですけれどね。その意味でも、私自身にとっても、今回のプロジェクトはいいチャレンジになりました。 ネットワークの改善や店舗機器のメンテナンスなどと違って、直接自分の作ったシステムをお客様に使っていただける。それを使って、お客様がスムーズに店舗内を動き、楽しそうにお買い物をしている。そういう現場を見られるというのは、エンジニアとしても、とても嬉しいことでした」(内田氏)
実は、今回のプロジェクトでは、展示されているメガネフレームの1つ1つにQRコードを印刷したタグをつける作業が不可欠だった。2店舗だけの導入とはいえ、その商品点数は膨大だ。その作業に率先して取り組んだのは⋯⋯。
「PMの河野さんなんですよ。彼女が率先して、タグ貼りをしたのです。本部が決めたことだから、『店舗スタッフがやってください、お願いします』じゃないんですね。そうしたデジタル部側の本気度や頑張りが、店舗スタッフを動かしたということもあり、それもまたプロジェクトを成功に導いた大きな要因だと思っています」(内田氏)
今後、JINSスマート受付システムは、国内だけでなく海外の店舗にも広まっていくだろう。国内横展開にも河野氏は関わりつつ、いずれは国内で培ったグローバル基準の顧客体験を世界に広げていきたいという野望を持っているという。
市村氏の話によると、銀座店の店長は、グローバルキャリアチャレンジ制度に応募して、現在フィリピンの店舗に入り、日本のJINSの良さを伝える仕事に従事しているのだという。店舗スタッフ、営業スタッフもまた海外で活躍するチャンスが、JINSには大いにあるのだ。
「おそらく5〜6年後ぐらいにはJINSに関わるすべての人が触るであろう、大きなシステムを現在企画中です。これがJINSのDXの中心になるという確信が僕にはあります」(内田氏)
その内容はまだ外部には非公開だが、今もしJINSにエンジニアとして入社すれば、そのシステム開発に「中の人」として関われるチャンスが到来するだろう。