及川卓也氏が語る、ビジネスとテクノロジーが融合する時代のエンジニアに求められる「リーダーシップ」とは(1)──Accenture Technology EDGE
コンピュータ業界の歴史は「集中と分散」を繰り返す
Tably株式会社 代表取締役
Technology Enabler 及川 卓也氏
及川卓也氏はコンピュータ業界と呼ばれていた当時から、エンジニア、プロダクトマネジャー、エンジニアリングマネジャーとして勤務してきた。外資系コンピュータ企業やソフトウェア企業、さらには日本のスタートアップを経て、企業のプロダクト支援を行うTably(テーブリー)を創業。社名は及川氏の名前『卓』に由来し、卓を英語にするとデスクやテーブルとなることから名付けられた。
「テーブルやデスクがなければ、私たちは地べたで食べ物を食べたり、書物を読んだりしなければなりません。つまり卓は物を引き上げてくれる。人や事業、物事を社会に役立つ高さまでテクノロジーで引き上げることをイメージして、テーブリーと名付けました」(及川氏)
まず及川氏は「CRAY-1」と書かれた1枚の写真を示す。CRAY-1は1976年にリリースされた当時世界最高速のスーパーコンピュータである。現在は、米シリコンバレーにあるコンピュータ歴史博物館の受付近くに鎮座している。
当時のコンピュータの性能はFLOPSで表され、CRAY-1の性能は80メガFLOPS。最新のスマートフォンの性能と比較すると、1万分の1以下の性能だという。30〜40年前の世界最高速コンピュータの1万倍以上のコンピュータをポケットに入れて持ち歩いている時代になっているというわけだ。
このような急激な技術の進化を裏付ける有名な理論が、ムーアの法則である。ムーアの法則とはインテルの共同創業者であるムーア博士が発表した、「集積回路のトランジスタ数は18カ月ごとに2倍になる」というものだ。
及川氏自身、最初に入社したDigital Equipment Corporation(DEC)で強く感じたと語る。70年代や80年代の企業で使われていたコンピュータは、パンチカードに打ち込んで計算機センターに持って行き、一晩かけてデータ処理を行っていた。それを対話型にして、研究者がいつでも使えるものにするというコンセプトを実現したのが、DECである。
「DECという会社はもうありませんが、DECが作った技術の中には今でも使われているものがたくさんあります」(及川氏)
Linuxの大元になったUNIX、インターネットプロトコルTCP/IP、イーサネット、C言語、X Windowなどはその代表例だ。そんなDECが先述したようにコンピュータ業界にもたらしたのは、ダウンサイジングである。
「メインフレームという人の背の高さよりも高いコンピュータでしか計算できなかったことを、ミニコンピュータで実現した」と及川氏は語る。DECは世界ナンバーワンのコンピュータ企業を目指して邁進していた。だが、DEC自身がダウンサイジングの波に巻き込まれてしまい、終焉を迎えてしまった。
その後、パーソナルコンピュータが登場し、今はスマートデバイスという、さらに小さなセンサーに囲まれている。進化したのはコンピュータだけではない。「ネットワークも大きく進化した」と及川氏。5Gも普通に使えるようになり、Beyond 5Gも見えてきた。ネットワークはより高速・大容量、低遅延化が進んでいる。
「歴史は繰り返す」という言葉は、IT業界にも当てはまる。デバイスのパワーが高くなる一方で、ネットワークの帯域も広くなり、レイテンシーも短くなっている。「必ずしも手元のデバイスですべての処理を行う必要がなくなる」と及川氏は指摘する。
「汎用機による集中処理の時代から、ワークステーションやパーソナルコンピュータによる分散処理の時代となり、Web時代にはまた集中処理となった。集中と分散は繰り返し起きていて、今はその両方の手段が使える状態になっています」(及川氏)
ここでムーアの法則を思い出してほしい。ムーアの法則ではひたすら集積度数を上げていくことで、周波数が上がる。このやり方を自動車のエンジンに例えると、ハイオクの燃料をつぎ込み、どんどん燃やし続けていくやり方である。
「この方法はこれから成立しなくなる」と及川氏は言及する。その理由は地球温暖化問題である。地球温暖化に対して、今や世界中のすべての企業が取り組まなければならない状態に陥っているからだ。
「多くのIT企業が自社の開発やシステムの運用に関して、いかに二酸化炭素を排出しないかを考え始めています」(及川氏)
エンジニアが考えなければならないことの一つは、どこまで汎用的なテクノロジーを使い、どこから専用に踏み込むかである。CPUは汎用性が高いため、PCだけではなく産業用のコンピュータにも用いられる。
だが、ある業務に特化してみると、汎用性の高いものにはその業務にとって必要のない機能も入っている。それが最終的な電力使用効率に影響してくることもある。「汎用性とドメインスペシフィックのせめぎ合いが今起こっている」と及川氏は語る。
例えば機械学習専門のプロセッサーとして、汎用的に使われているのがGPUである。一方、GoogleがTensorFlowに特化したTPUというプロセッサはドメインスペシフィックに踏み込んでいる。
どちらを使う方がより良いのか、その判断も技術者には求められるようになった。つまりグローバルレベルで、多様な技術を組み合わせて最適なものを生み出すオーケストレーション技術が求められているというわけだ。
世界各地にデータセンターを持っている巨大テック企業は、データセンターの熱効率をよくするために、北半球が冬の間は北半球で、北半球が夏になると南半球でデータ処理を行うという工夫をしている。
「もっとミクロなレベルかもしれませんが、すべてのエンジニアが地球温暖化をいかに抑制するかを考え、仕事をしていく時代になっていると思います」(及川氏)
ライフスタイルやワークスタイルの多様性を認識する
もう一つ意識すべきことがある。それは、「ライフスタイルやワークスタイルが大きく変わっていること」だと及川氏は言う。昨今、大きな影響を与えたCOVID-19のパンデミックにより、テレワークを取り入れる企業が増えた。これも大きな変化だと言えよう。
だが最近、パンデミックが収まってきたことにより、オフィスに戻ってきてほしいという企業も出ている。一方、個人側はテレワークを続けたいと思っている人も多い。「米国のテクノロジージャイアントでもさまざまな意見があります」(及川氏)
例えば、メタはオフィスを縮小し、ハイブリッド勤務に対応する一方で、イーロン・マスク氏がトップを務めるTwitter社は、オフィス勤務を求めている。自宅か職場というゼロイチの話ではなく、何が適切なのかということまで考えていく必要があるだろう。
また、ワークライフバランスやワークライフハーモニーという言葉が注目されるようになった。仕事とプライベートの調和について考えることも当たり前の社会となりつつある。
だが、慣性の法則が示すように、変化があっても元に戻そうという力学が働くこともある。また逆に少しでも動けば、その勢いを付けるようなところがある。昨今、話題となることも多いインクルーシブやダイバーシティについても、正しく認識して意識していくことが必要になると及川氏は言う。
「社会が変わっていく。その中で何を守るべきであり、何を変えなければいけないのか。きちんと考えて、判断することが大事になります」(及川氏)
エンジニアが変化を加速させるために必要なこととは
テクノロジーや社会の変化をより加速させるために、エンジニアにはどんなことが求められるのか。ここで及川氏は、「30年前のソフトウェア技術者の役割は極めて単純で、人が従事している仕事を機械が行えるようにすることだった」と、ふたたび歴史を振り返る。
及川氏が新卒で入社したDECは、AIでも先端を走っていた。だが、当時のAIはルールベース。人が頭の中で考えていることをひたすらルール化し、そのデータベースを元に判断させていたという。
実際、この技術を使ってさまざまな社会システムが作られた。その代表例が国鉄(現在のJR)のダイヤ作成である。現場にひたすらヒアリングし、ルールを明確化することで、機械がダイヤを作ることができるようになったのだ。
「これが90年代初めまで通用していたエンジニアの仕事でした。今では、技術の役割が変化し、技術が仕事や事業を作り出しています」(及川氏)
ガートナーはこれをバイモーダル理論と呼び、次の図のように表現している。最初は人が頑張って電卓やそろばんを叩いていた時代から、人が省力化・効率化のためにITを活用し始める。これがモード1で守りのITとも呼ばれる。今はモード2、攻めのITへと変化しており、ITがないと事業が成り立たなくなっている。
「モード2へと変化していることをちゃんと理解しなければなりません」(及川氏)
エンジニアの仕事はサイエンティフィックマインドを持ったチームプレイ
今や事業は、ITなくしては成り立たなくなっている。エンジニアはその仕事にどう携わっているのか。「ここで仕事について改めて考えてみたい」と及川氏は投げかける。
仕事をしなければ私たちは食べることができない(ライスワーク)。だがその一方で、ライフワークという言葉があるように、仕事は個人にとっての生きがいという面もある。これを企業に当てはめると、仕事もしくは事業とは、社会にとって必要なものを作り上げていくこと。「いかに価値創造をするかが重要になります」と及川氏は力強く語る。
ここで及川氏は80年代の大学の研究室にいた頃を振り返る。その研究室にはMacintoshがあったという。Macは計算できるので計算機だが、GUIがあったり、さまざまなクリエイティブな作業ができる。
計算機としては既に決まっている数式に従って、ひたすら高速に計算することが求められる。だが、今必要なのは、どのような結果を出すかが決まっておらず、その算出の仕方も分からないようなものである。しかもそのアウトプットが世の中で求められているという確証もない。そんなアウトプットが求められているのだ。
「真理を探究するサイエンスそのもの」と及川氏は語る。エンジニアはある種、科学者である必要があると同時に、ソフトウェア開発は、チームスポーツにも近いという。つまりエンジニアは、サイエンティフィックなマインドを持ちながらチームプレイに徹することが求められる。場合によってはチームメンバーをしっかりとリードしていくことも必要になる。
ここで及川氏は良いチームを作ることに言及。良いチーム作りに必要なのは、心理的安全性の担保だと強調する。心理的安全性とは、チーム内で衝突がなく、見た目上仲が良いという状態ではない。
「このメンバーだったら自分の弱みを見せることができたり、反論や反対されてもかまわないという状態です」(及川氏)
心理的安全性が保たれたチームは、健全な議論が行われる。そして良い結果を残せるからだ。目の前にある見た目の調和を重んじるのではなく、一見、喧嘩に見えるようなことがあったとしても、先にあるゴールを目指して共に歩けるチームが良いチームなのだ。
エンジニアには2種類のリーダーシップが求められる
では、良いチームを引っ張るために、エンジニアはどのようなリーダーシップが必要になるのか。及川氏は「テクニカルリーダーシップとノンテクニカルリーダーシップの2種類が必要」だと語る。
テクニカルリーダーシップとは、ソフトウェア技術者ならソフトウェア技術について深い知見があること。具体的にはコーディングスピードが早い、コードの品質が高い、複雑な設計ができることなどだ。
ノンテクニカルリーダーシップとはその名の通り、ノンテクニカルな部分でリードすること。具体的にはドキュメントの整備や採用広報など、必ずしもエンジニアとしてやらなければならないことではない業務でリードすることだ。
IC(Individual Contributor:チームや人のマネジメントをしない技術の専門職)というキャリアを選ぶのであれば、ノンテクニカルリーダーシップは必要ないと思う人もいるかもしれない。だが及川氏は、「ICというキャリアを選んだとしても、ノンテクニカルリーダーシップがなければ、チームプレイが難しくなるので、キャリアラダーを上げていくことは難しくなると思う」と指摘する。
テクニカルリーダーシップの方がウェイトは高くなるが、ノンテクニカルリーダーシップもキャリアラダーを上るには不可欠だ。一方、マネジャーのキャリアを選ぶ場合は、テクニカルリーダーシップよりも、ノンテクニカルリーダーシップがより求められる。
「どちらのキャリアパスを描いていくかによってウェイトは変わりますが、重要なのはどちらかだけではなく、両方のリーダーシップが必要だということです」(及川氏)
エンジニアの中には、リーダーやマネジャーというキャリアにあまり魅力を感じていない人もいる。だが及川氏は「本当にその仕事が必要かどうか、考えることをしていないため」だと語る。
例えば、マネジャーの勤怠管理の一つである有給休暇の承認業務をやめてしまうのも一つの手だ。仕事を見直していくことで、リーダーやマネジメントという仕事はより魅力的になっていくという。
その仕事は本当に必要なのか。労働力が減少していく日本においては、見直していくことが必要だと、及川氏は指摘。今後、単純なコーディングやプログラミング作業はAIに置き換わり、なくなる可能性も十分にある。
「テクノロジー失業にならないためには、テクノロジーという武器を使って、社会に価値創造を与えていけること。エンジニアもテクノロジー+創造性を合わせ持つことが求められていくでしょう」(及川氏)
視座を高く持ち、世界の課題解決に貢献しよう
最後に及川氏は、「視座を高く持つこと」の重要性をSIerを例に説明した。SIerは顧客のIT化を支える存在である。顧客がSIerにシステムを発注し、SIerは利益を得る。そのとき、あくどいSIerなら、顧客が使うかわからないものまで仕様を膨らませ、お金儲けすることもできる。
だが「決してそんなことはしないでほしい」と、及川氏は釘を刺す。そして最終的に顧客はITでエンドユーザーにプロダクトを提供し、エンドユーザーからその対価をいただくモデルにすることが重要だという。顧客がユーザーに対して価値を提供し、その対価を受けられるようになることで、競合への優位性を示すことにも繋がる。
「SIerは自社だけが儲かるモデルではなく、顧客にもしっかりと儲かってもらう。そのために国内において最高レベルのものを提供するという視座を持っていただきたい」(及川氏)
マーケットのグローバル化を目指すには、グローバルな競合と戦う必要がある。そのためには、日本のIT企業が世界レベルの高いサービス・プロダクトを開発、提供し、国内ユーザーのITリテラシーを底上げしていくことが欠かせない。
ただ、この日本が世界で勝つということでも欠けている視点があると言う。すでに話したように、世界は現在課題に満ちている。地球温暖化や感染症の脅威、地域紛争などの課題だ。及川氏はこれらの世界課題に向き合うことを是非意識して欲しいと訴えた。つまり、どこかの国が他の国に勝つということではなく、健全な競合もありながら、世界が継続的に成長し続けていけるようなことを目指して欲しいということだ。
「自社だけではなく、顧客が儲かり、日本全体が儲かる。最終的には世界が儲かるようにする。高い視座を持つことを忘れずに、技術者として研鑽してほしいと思います」(及川氏)
⇒アクセンチュアのアーキテクト・コンサルタントとのパネルセッションレポートに続く
【パネルディスカッションテーマ】
・エンジニアはどのように開発判断や事業判断、意思決定を行うべきか
・エンジニアはどのように周りを巻き込んでいくべきか
・リーダーシップはどのように変化していくべきか?そのための「武器」とは何か?