トヨタの「ソフトウェア・ファーストなクルマづくり」とは ──ハードの強みを活かす、ソフトウェア開発の最新事例を紹介
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クルマの「新しいソフトウェアの世界」を生み出すプラットフォーム
トヨタ自動車株式会社
制御電子プラットフォーム開発部 室長 桑原 清二氏
今回登壇した桑原清二氏は、2000年にトヨタ自動車に入社。現在は制御電子プラットフォーム開発部 室長として、ソフトウェアを推進する業務に携わっている。
学生時代からソフトウェア開発に携わりたいと考えていた桑原氏は、卒業後は電子・情報系の企業への就職を検討していた。ところが、トヨタがナビデータやセンサー情報を使い、ソフトウェアで道路環境に合わせ走りを制御する『NAVI・AI-SHIFT』の開発を行っていることに興味を持ち、入社を決めたのだという。
まず桑原氏は、近年の自動車開発ではハードウェアだけではなく、ソフトウェア技術の進化も重要であることに言及した。
「走りの性能や斬新なデザインなど、従来のクルマの魅力はハードウェアが中心であり、ソフトウェアはハードウェアの性能を発揮する役割でした。しかし、先進安全やコネクテッド、コックピットには、ハード・ソフト両方が重要なのです」(桑原氏)
上記のような機能や性能の向上は、スマートフォンの進化によく似ている。スマートフォンはソフトウェア(アプリやOS)と、カメラやメモリ、SoC、通信デバイスなどのハードで構成されており、最新機能をハードに頼らず、ソフトウェアの更新によって提供する。
今後のクルマも、スマホのようにアプリやサービスが重要になっていくだろうと、桑原氏は語る。実際、以前はモデルチェンジ時に、ハード・ソフトを一緒に機能向上していた。
しかし昨今は、OTA(over-the-air)という無線通信を経由し、データを送受信する技術を使うことで、ソフトウェアはリリース後もアップデートし続けることが可能だ。
スマートフォンにおけるAndroidやiOSといった共通OSのように、クルマにもOSが必要だと考えたトヨタは、次世代の車載ソフトウェア開発プラットフォーム「Arene(アリーン)」ならびに「AreneOS」の開発に至る。
AreneOSは、自動運転ソフトウェアを開発するグループ会社であるウーブン・プラネット・ホールディングス(以下、ウーブン・プラネット)と共同開発している。開発の様子を、桑原氏は次のように語った。
「ウーブン・プラネットには、優秀なソフトウェアエンジニアが世界中から集まっています。日本橋のオフィスでフェイス・トゥ・フェイスでコミュニケーションをとりながら、トヨタのメンバーも、最新のソフト開発スキルを身につけています」(桑原氏)
ECUの汎用化でドライバーに最適な仕様を提供
AreneOSの開発・導入によって、ハードウェアとソフトウェアを分離させた。その結果、ハードウェアを変更するたびに必要であったソフトウェア開発が必要なくなり、アプリ開発の自由度が高まった。
一方で、多種多様な車種のラインナップに加え、グレード・オプションなども重ねると、車両バリエーションは数え切れない。そのためすべてのハードウェアをソフトウェアと分離することは、スマートフォンに比べて難易度が高く、「ジグゾーパズルを組み立てるようなもの」だと、桑原氏は表現した。
具体的にはHAL(Hardware Abstraction Layer)とAPIの技術を使い、ハードの違いを吸収しているが、この仕組みだけでは解消できていないという。理由としては、車内には多種の装備品があり、それらがワイヤーハーネスでつながっているからだ。
そこで、こちらもこれまでバリエーション毎に開発していた、各種装備品を制御する「ECU(Electronic Control Unit/電子制御ユニット)」も共通・汎用基盤に。バリエーション毎にフィットしたECUにセッティングされるよう、データベースからソフトウェアを選択し、自動で書き換える仕組みを構築した。
「セキュリティや通信に関する最新機能や機能安全については、AreneOSが提供します。そのため、アプリ開発者はサービス開発に集中できる。まさにスマホアプリ開発と同じような環境を実現しています」(桑原氏)
AreneOSの開発プラットフォームが推進・活用されれば、ドライバーに合わせてより最適なアプリやソフトウェアを提供することができる。そんな拡張性の高い機能を実現させたいと、桑原氏は熱く語る。
「ソフトウェア中心の開発を進めることで、個々のドライバーのニーズを反映した、ハードウェアのアップデートも可能になります。その結果、幅広いドライバーのニーズに応えるクルマを提供できるようになるでしょう」(桑原氏)
コックピット・メーターのソフトウェア開発を内製化
トヨタ自動車株式会社
コクピット電子システム開発部 室長 岡田 洋氏
続いて登壇した岡田氏は、2000年にトヨタに入社後、燃料電池車やハイブリッド車など、幅広くパワートレーン系ソフト開発を担当。2022年より、コックピットやメーター周りにおけるソフトウェア開発に従事している。
ちなみに岡田氏は、トヨタに入社した理由を「初代のプリウスが発売されるのを見て、これから時代は変わっていく。電気でエコな車をつくりたいと思ったから」と語っている。
岡田氏はまず、メーターの進化について説明を行った。一昔前のアナログメーターや光源が裏側にあるオプティトロンメーターとは異なり、液晶パネルの利用が増えてきている。特に液晶パネルの進化が目覚ましいのだという。
当初はサイズも小さく、色合いもモノクロであったのが、現在では12.3インチにまで拡大。表示する内容は車種などにもよって異なるが、レクサスやクラウンといったラグジュアリーな車種では、周辺の車両状況などを色鮮やかに表示する。
メーターの魅力は、そのまま車の商品力に直結する。そのため、メーターを通じた新しい価値や体験をいち早くお客様に届けたい。このような想いを込めて、トヨタはコックピットのソフトウェア開発内製化を進めていると、岡田氏は語る。
例えば、以前はスライド上部、仕様設計フェーズはトヨタが開発するが、以降の下部フェーズ、構造・詳細設計、実装については、パートナー企業に委託していた。しかし現在は、全工程を車内で担う体制に刷新した。
開発体制を内製化にしたことで、企画、開発、シミュレーション、車両評価といった一連のものづくり工程を、一気通貫で担えるようになった。
さらに、より魅力的で価値のあるコックピットを提供すべく、岡田氏たちのチームでは様々なアイデアを発案している。シミュレーションを使い、実際のお客様にも操作してもらい、得たフィードバックを活用するといったスキームを、開発段階から行っているのだ。
「発売以降も、お客様の操作情報や寄せられたご意見をモニタリングしたり活用することで、より良いコックピットにさらにアップデートしていきます」(岡田氏)
世界中に自動車を販売するトヨタは、各国・地域に通用できるように、開発体制もグローバルにメンバーが協力しながら行っている。例えば、グラフィックデザインは北米や欧州、日本が担当。その他の開発フェーズは、北米、タイ、日本などで行うといった具合だ。
そして、グローバルに点在するメンバーは、バーチャル空間や各種デジタルツールなどを活用することで、良好なコミュニケーションを実現。さらなる魅力あるコックピットが生まれていく。
メンバーはITベンダーの出身が多く、アジャイル・スクラム開発の手法を採用。中でも北米拠点TCNA(TOYOTA Connected North America)のメンバーが最先端のソフトウェア開発に詳しく、彼らと共に日々、設計やコードレビューを行う。
世の中にないものは自分たちで生み出す
開発ツールは、Flutterを活用している。OSSなのでグローバル最先端の技術を使うことが可能であることや、サードパーティーでも開発が行えるといった利点から採用した。実際、これまでは色一つを変えるだけでもかなりの手間だった作業が、簡単なプログラミングで行えるような成果が出ているという。
一方で、Flutter活用には問題もあった。3Dに対応していないことだ。しかし、岡田氏のチームは「ないものは生み出せ!」という気概で、自分たちで開発することを選択。まずはどのような3Dツールを採用するか議論を重ね、Filamentを選択した。
ところが、FilamentとFlutterがうまくつながらないという壁に、再度ぶち当たる。そこではOSSならではの解決策を取った。コミュニティに相談を投げ、世界中の技術者から知見を得ることで、自作で機能追加を実現したのである。
現在は開発した機能を公開。まさにOSSならではのやり方で、自分たちの知見や技術を世界に還元している。
ソフトウェアの開発方法も刷新した。これまで車毎に開発していた体制から、全車種共通のソフトウェアを開発し、車両毎に最適化する体制に変えることで、増えすぎるソフトウェアの管理工数を抑えている。
さらには開発・テストツールも内製化、CI/CDを取り入れ自動化したり、評価においても実機ではなく、実機を模した評価環境などを構築。開発からテスト、実装までの時間短縮にも努めており、今後はVRシミュレータの導入も検討していると述べ、セッションを締めた。
【Q&A】参加者からの質問に登壇者が回答
セッション後は、イベントを聴講した参加者からの質問に回答した。
Q.ECUの汎用化はどの機種が基準となっているのか
トラック、SUV、コンパクトカー、ラグジュアリーまで、トヨタ自動車が扱う車種は幅広いため、1つではなく松竹梅のように、似たような車両郡で汎用化しています。
Q.AreneOSとAUBISTの違いは何か
プラットフォームというだけでなく、開発環境全部を含む点です。HAL、APIを独自に作るのはもちろん、SDKも合わせて作ります。そのため、アプリ開発者にとっては開発環境が構築しやすく、サービス開発がやりやすい環境となります。
Q.AreneOSにおけるソフトウェア開発は誰が行っているのか
現在は社内のメンバーが行っていますが、いずれはスマホアプリ開発のように社外、サプライヤーなどにも広がることで、より充実していくと考えています。
Q.ソフトウェア更新時にクラッシュした際の対応はどうしているのか
メモリを両面で備えており、片側からのみダウンロードしています。インストールが終わったら、安全を担保した状態で切り替える。このような手法としています。
Q.HALは遅延を引き起こす可能性があると聞くが、導入に際しての工夫は何か
HALに限らず、自動車は特に安全、品質保証が重要です。対策としては、スマホゲームのような多少遅延しても危険性の低いエンタメ要素と、リアルタイムでやるべき要素の処理を、デバイスで使い分けるような工夫を施しています。
Q.AreneOSはミドルウェアやSDKの集合体という理解で合っているか
SDKの集合体という理解で正しいです。AGL(Automotive Grade Linux)上でミドルウェアとして動いているイメージです。
Q.クルマの3Dモデル作成では、Unreal EngineやUnityといったゲームエンジンを活用しているのか
当初は検討しましたが、実現にはソフトウェアを軽くする必要があり、セッションで紹介したようなツールを採用しました。一方で、ドライビングシミュレーターの評価に関しては、導入を検討しています。
Q.全車種共通のソフトウェアを使うと、プラットフォームが巨大化するのではないか
その可能性はあり得ると考えています。そこで今後は、グラフィックの塊でまとめるなどOTAしやすく、管理しやすい塊に変化していく対策を考慮しています。
Q.アジャイル開発の流れや導入で苦労した点、品質保証の対応など
スプリントを1~2週間で実施、チケットを切って開発を進めています。トヨタ自動車はそもそも、ソフトウェア開発を内製化していませんでした。そのため、アジャイル開発の導入に関して先入観がないこともあり、スムーズでした。品質保証に関しては、まさに大きな課題ですが、アジャイルで常に検査を回す仕組みを導入することで、現状は進めています。
Q.内製化することによるサプライヤーとの関係性はどう配慮しているか
すべて内製化できるかというと、正直難しいと考えています。そこで、今後も現在の仕入先とも協力しながらワンチームで、共に開発を進めている状況です。
Q.音声操作などスマホOSが提供するアプリとの重複や連携について
AreneOSは、ハードや通信といったあくまでミドルウェア的な位置付けです。そのため音声操作機能が提供されれば、そのままアプリとして実装するため、スマホのアプリとは競合しないと考えています。
Q.仕入先からソースコードの提供は受けているか
受けています。例えば、メーターではグラフィックソフトは内製化していますが、プラットフォーム側のソフトウェアは、サプライヤーが開発したものを使っています。
Q.ソフトウェアファーストを進めることで、ハードウェアメンバーからの反発はないのか
100年に一度の大転換期を迎えるということで、岐路に立っている危機感は全てのメンバーが感じています。そのため、開発体制を変えることに否定的な意見はありません。逆に変わらないことの方が危機だという感覚で、変化に対して前向きに取り組んでいます。
以前はクルマ(ハードウェア)のリリースのタイミングに合わせて、ソフトウェアも開発を確定していました。そうすると品質評価などの工程前となるため、販売時点のソフトウェアは一昔前のものという状況でした。
そこで現在は、ソフト・ハードウェア両方の開発を分離。ソフトウェア開発においてはアジャイルで常にアップデートしていく手法で進めています。そして、あるタイミングで結合する。難しい面もありますが、一丸となって取り組めていると思います。