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「あの商品どこ?」というお客様からの一言に、新人スタッフは即答できるでしょうか。 AWS Summit Japan 2026 の流通小売・消費財・飲食ブースで、「スマートグラス × 音声 AI エージェントによる店舗業務支援」デモを展示し、スマートグラスを装着した来場者ご自身が、声で話しかけるだけで AI が音声と AR 表示で即答する体験をお届けしました。 図 1: デモのイメージ。スマートグラスに話しかけると、棚位置・商品名・在庫を視界に表示 このデモは、 Amazon Nova 2 Sonic と Amazon Bedrock AgentCore Gateway を中核とするマネージドサービスの組み合わせで構成されています。 解決したい課題: 新人の「即戦力化」 流通小売・飲食業界のお客様とお話しする中で、必ずと言っていいほど話題に上るのが「人手不足」です。採用が難しいことに加え、パート・アルバイトの入れ替わりや外国人スタッフの増加により、経験の浅いスタッフで現場を回す場面は今後ますます増えていきます。 そこで本デモが着目したのが、「 新人が戦力になるまでの時間 」を縮められないか、という切り口です。ベテランなら 1 秒で答えられる「あの商品どこ?」も新人には答えられず、売り場を覚えるのに数週間、商品知識を身につけるのに数ヶ月かかり、その間の接客品質はシフトの巡り合わせで決まってしまいます。 壁 具体的な場面 ビジネスへの影響 知識の属人化 「あの商品どこ?」にベテランしか即答できない 接客品質がシフト次第でばらつく バックヤード往復 「在庫ありますか?」の確認で往復 2〜3 分 お客様は待ちきれず離脱、販売機会を損失 両手が塞がる 品出し・調理中に端末を取り出せない 情報を調べる行為自体が業務の中断になる タスク管理の断絶 品出し・値札変更等が口頭伝達やメモベース 抜け漏れ・重複対応が発生、連携コストが高い 言語の壁 外国人スタッフがマニュアルにアクセスできない 戦力化がさらに遅れ、業務の偏りが生まれる 生成 AI によるチャットボットの業務活用は一般的になりつつあります。しかし、画面とキーボードを前提とした UI は、品出し中・調理中・接客中など「両手が塞がる」現場では使いにくく、情報を調べる行為自体が業務の中断になってしまいます。 そこで本デモでは、 スマートグラス × 音声 AI エージェント という組み合わせを選びました。声で聞けば、AI がベテランの知識で即答する。新人が初日からベテランの知識にアクセスできる状態を目指したデモです。 使用したスマートグラス: RayNeo X3 Pro RayNeo X3 Pro(製品ページ) 透過型フルカラー MicroLED ディスプレイ(6,000nits ピーク輝度)により、装着した本人にだけ文字やカードが浮かんで見える マイク 3 基(ビームフォーミング対応)+ ステレオスピーカー 2 基を内蔵し、音声入力と再生がグラス単体で完結 スピーカーは耳を塞がない骨伝導方式。AI の音声を聞きながらお客様との会話や店内アナウンスも聞き逃さないため、通常のイヤホンのように業務を阻害しない スナップオン式の度付きインサートレンズに対応。普段メガネをかけている方でも視力を補正した状態で体験可能 図 2: 本デモで使用したスマートグラス RayNeo X3 Pro。見た目は普通のメガネながら、AR ディスプレイ・マイク・スピーカーを内蔵 本デモでは、右フレーム上部の物理ボタンをワンクリックすると音声入力が始まるようアプリを実装し、来場者が迷わず操作できるようにしました。 なお、本ソリューションは特定デバイスに依存しません。「音声を送り、テキスト・画像を受け取って表示する」API を呼び出せるスマートグラスであれば、他機種にも置き換え可能です。 体験シナリオ 来場者には 1〜2 分で、スーパー / アパレル / 飲食の 3 業態から興味のあるシナリオを選んでいただきました。 図 3: ブースに掲示した操作手順と質問例のパネル ここでポイントとなるのが、AI の回答が 音声と AR 表示の 2 チャネルで同時に届く ことです。 音声 : 耳で聞きながら手を止めずに作業を続けられる AR 表示 : エリア番号や在庫数など「聞き逃したら困る情報」が視界に残り続ける 「音声で概要を掴み、詳細は視界のカードで確認する」という組み合わせが、ハンズフリーでも確実な情報アクセスを実現します。それでは、代表的なやり取りをご紹介します。 スーパー: バイト初日でもベテランの案内 入社初日のアルバイトスタッフ。お客様に「コーヒーはどこ?」と聞かれたが、売り場配置をまだ覚えていない。 [スタッフ] 「コーヒーはどこですか?」 [音声] 「有機コーヒー豆 200g は C-02 エリアにあります。在庫は 7 点です」 売り場を覚えていない新人でも、音声で答えを聞きながら、視界に残るエリア番号を頼りにお客様をそのままご案内できます。 図 4: 商品名・棚位置・在庫を AR カードで表示(実際の UI を背景に合成して再現。実機では背景が現実の視界になる) スーパー: 「ありません」で終わらない接客 品出し中のスタッフ。お客様から在庫を聞かれたが、自店舗には在庫がないケース。従来なら「ありません」で終わるところを、AI が在庫システムを参照し近隣店舗の在庫まで提示する。 [スタッフ] 「食パンはありますか?」 [音声] 「食パン 6枚切りは、幕張店には在庫がありませんが、麻布台店には 12 点の在庫があります」 自店舗に在庫がないと判断すると、AI エージェントが指示されなくても近隣店舗の在庫を検索し、代替案を提示します。 図 5: 自店舗に在庫がない場合、近隣店舗の在庫を表示 アパレル: EC へのシームレスな誘導 アパレル店舗の接客スタッフ。お客様が欲しいサイズが店舗に無い場合、近隣店舗や EC サイトの在庫まで自動で探し、売り逃しを防ぐ。 [スタッフ] 「Tシャツの L サイズはありますか?」 [音声] 「L サイズの Tシャツ ベーシック 白は、幕張店には在庫切れですが、EC サイトに 5 点あります」 店舗 → 近隣店舗 → EC と段階的にフォールバックするため、売り逃しが発生しません。この「在庫切れでも終わらない接客」は、来場者に最も驚かれたポイントの一つでした。 図 6: サイズ別在庫を表示。在庫切れサイズは EC 在庫も表示 飲食: 予約確認 飲食店のホールスタッフ。料理を運びながら、次のテーブルの予約状況を確認したい。端末を取りに行かずに声だけで確認できる。 [スタッフ] 「テーブル 5 の予約状況は?」 [音声] 「テーブル 5 は伊藤様、2 名、17 時半から 19 時半です。ラストオーダーは 19 時です」 予約確認も声だけで完結。テーブル番号を聞くだけで予約者名・時間帯・ラストオーダーまで即座に返答します。 図 7: テーブル番号・予約者名・時間帯・ラストオーダーを表示 タスク管理: 声で登録 清掃担当のスタッフ。作業中に気づいたタスクを、手を止めずにその場で登録したい。 [スタッフ] 「トイレ清掃をタスクに追加して」 [音声] 「トイレ清掃をタスクに追加しました」 タスクの登録も声だけで完結。手を止めてメモを書いたり端末を操作する必要がありません。 図 8: 追加されたタスクの内容と優先度を表示 多言語: 英語で聞けば英語で返る 外国人スタッフ、または英語しか話せないお客様への対応。日本語のマニュアルや POS 端末を読めなくても、母国語で質問すれば母国語で回答が返る。 [スタッフ] “Where is the coffee?” [音声] “The Organic Coffee Beans 200g are in area C-02 at the Makuhari Store. We have 7 in stock.” 英語で話しかければ英語で回答し、AR カードの値も英語に切り替わります。 図 9: 英語で質問すると、AR カードも英語で表示 管理者からのプッシュ通知 店長がバックオフィスからフロアスタッフへリマインドを送るケース。ラストオーダーの声かけ忘れを防ぎたい。 管理画面からリマインドを送信すると、スタッフのグラスに音声と AR カードで通知が届きます。 [AR] テーブル 5 ラストオーダー [音声] 「テーブル 5、ラストオーダーの時間です」 インカムのように全員に割り込むのではなく、必要な情報を必要なスタッフへ届けられます。 図 10: プッシュ通知の流れ。上が店長の管理画面(リマインド送信ボタン)、下がスタッフのグラスに届いた通知 Agent Monitor: AI の思考プロセスを「見せる」 音声対話はグラス装着者にしか聞こえません。そこでブースの大型モニターに、AI エージェントが「商品検索 → 在庫確認 → 棚位置取得」と業務システムを呼び出す思考プロセスをリアルタイム表示しました。 図 11: Agent Monitor の動作画面。「コーヒーはどこ?」と聞いた瞬間から、ツール呼び出しの思考プロセスがリアルタイムに表示される 順番待ちの来場者にも楽しんでいただけると同時に、技術的な会話のきっかけとしても機能しました。 ご来場いただいたお客様の声 ブースには約 500 名の方にお立ち寄りいただき、多くのポジティブなフィードバックをいただきました。 図 12: AWS Summit Japan 2026 ブースの様子 最も大きな “Wow” を生んだのは、やはりスマートグラス越しに情報が浮かんで見える AR 体験そのものです。一方で技術者の方が驚かれていたのは別のポイントで、Amazon Nova 2 Sonic の応答の速さと、業務システムと自然に連携する Tool Use でした。 「スタッフがアトラクション・イベント・食事の確認に苦労しているため、導入検討したい」(テーマパーク業界) 「工場の業務が属人化しており、マニュアルを読み込ませて活用したい」(製造業) 「スーパー、ホームセンター、コンビニ、外食、アパレルなど店舗スタッフの業務支援に使いたい」(流通小売業界) 店舗向けに設計したデモにもかかわらず、ご来場いただいた方々には、「手が塞がる現場」「知識が属人化した現場」という共通項で自社の課題に置き換えて受け取っていただきました。私たちが訴求した「店舗業務支援」よりも一段抽象度の高い「現場の知識アクセス」というニーズが存在することは、展示を通じて得られた大きな気づきでした。 システム構成と技術的なポイント ここからは、本デモの技術構成をご紹介します。体験シナリオの裏側では、次の一連の処理が数秒で完結しています。 スタッフの声がスマートグラスからクラウド上の AI モデルに届く AI が発話を理解し、「どの業務システムに問い合わせるべきか」を自律的に判断してツール(商品検索・在庫確認など)を呼び出す ツールの結果を組み立てて、音声と AR 表示の両方で回答を返す この「AI が自分でツールを選んで呼び出す」仕組みは Tool Use と呼ばれ、本デモのアーキテクチャの中核です。以下、この流れを支える各コンポーネントを解説します。 全体アーキテクチャ 図 13: システムアーキテクチャ全体像 レイヤー コンポーネント 実体 役割 クライアント スマートグラス RayNeo X3 Pro (Kotlin + Jetpack Compose) 音声入力・AR 表示 クライアント Agent Monitor Next.js ( Amazon ECS Fargate) 思考プロセスのリアルタイム表示( AG-UI プロトコル) 音声・推論 Sonic Sidecar ECS Fargate (Python) グラスと AI の橋渡し(WebSocket / SSE) 音声・推論 Amazon Nova 2 Sonic Amazon Bedrock (us-east-1) 音声理解・推論・Tool Use・音声生成を 1 モデルで完結 ツール接続 AgentCore Gateway Amazon Bedrock AgentCore Lambda を MCP ツールとしてエージェントに公開 バックエンド 業務ツール群 AWS Lambda (Python, ARM64) × 5 商品検索・在庫確認・棚位置取得・タスク管理・予約確認 データ 商品マスター Amazon OpenSearch Serverless + Amazon Titan Text Embeddings V2 セマンティック検索 データ 在庫・棚・タスク Amazon DynamoDB トランザクショナルデータ 全リソースは AWS CDK (TypeScript) で定義しています。 Amazon CloudFront による配信を組み合わせたマネージド構成です。 アーキテクチャのポイント 1. Amazon Nova 2 Sonic のネイティブ Tool Use で「1 モデル完結」 Amazon Nova 2 Sonic は、音声を直接入力として受け取り、音声で直接回答を返す Speech-to-Speech モデルです。従来の音声アシスタントでは「音声→テキスト変換 (STT) → テキスト LLM で推論 → テキスト→音声変換 (TTS)」と 3 つのステップを組み合わせる必要がありましたが、Nova 2 Sonic はこれを 1 モデルで完結させます。さらに、推論の途中でバックエンドのツールを呼び出す Tool Use もモデル内で行われるため、レイテンシとシステム複雑性の両方を削減できます。 本デモでは Sonic Sidecar が Nova 2 Sonic と双方向ストリームを張り、モデルから toolUse イベントを受け取るとバックエンドのツールを呼び出し、結果を返します。モデルは必要に応じて複数ツールを連鎖的に呼び出し(商品検索 → 在庫確認 → 棚位置取得)、最終的に音声で回答を生成します。 Amazon Nova 2 Sonic モデルカード(ドキュメント) 2. AG-UI プロトコルによる思考プロセスのリアルタイム可視化 Agent Monitor は AG-UI (Agent-User Interface) というプロトコルでエージェントの実行状態をストリーミング受信しています。AG-UI は「エージェントの中で今何が起きているか」をフロントエンドにリアルタイムに伝えるためのプロトコルです。本デモでは RUN_STARTED 、 TOOL_CALL_START 、 TOOL_CALL_RESULT 、 TEXT_MESSAGE_CONTENT といったイベントを SSE で逐次受け取り、エージェントが「今何を考え、どのツールを呼んでいるか」をリアルタイムに描画しています。フロントエンドのフレームワークを問わず同じイベントストリームを消費できるため、UI を独立して開発・差し替えできます。 3. Amazon Bedrock AgentCore Gateway で既存業務システムを簡単に接続 Amazon Bedrock AgentCore Gateway は、既存の API や Lambda 関数を AI エージェントが呼び出せるツールとして公開するマネージドサービスです。ツールの公開には、AI エージェントとツールをつなぐ共通規格として広く採用されている MCP (Model Context Protocol) を用いており、エージェントのフレームワークを問わず接続できます。本デモでは商品検索・在庫確認・棚位置取得・タスク管理・予約確認の 5 つの Lambda を Gateway に登録し、エージェントから MCP プロトコルで呼び出せるようにしています。 これにより、既存の業務システム(商品マスタ / 在庫マスタ / 基幹 API 等)を Gateway にツールとして登録するだけで、AI エージェントから即座に利用可能になります。Lambda でラップする方法に加え、OpenAPI 仕様に準拠した既存の REST API をそのまま登録することもできます。認証(IAM SigV4)やツールのセマンティック検索も Gateway が管理するため、エージェント側の実装を変更せずにツールの追加・差し替えができます。 Amazon Bedrock AgentCore Gateway(ドキュメント) 他業界への応用 本ソリューションのコアパターン「スマートグラス × Speech-to-Speech × ネイティブ Tool Use」は、手が塞がる業務環境全般に適用可能です。 業界 適用イメージ 製造 設備マニュアル・作業手順の音声照会、点検記録のハンズフリー登録 物流・倉庫 ピッキング位置案内、在庫照会、作業指示の音声受け取り 医療・介護 器材の所在確認、申し送り事項の音声記録 テーマパーク・ホテル 施設情報の即時照会、多言語での接客支援 技術的には AgentCore Gateway にツールを追加登録するだけで異なるドメインに対応できるため、自社の業務システムを Gateway に接続するだけで同様の体験を実現できます。 まとめ 本記事では、AWS Summit Japan 2026 で展示した「スマートグラス × 音声 AI エージェント」によるハンズフリー店舗業務支援デモをご紹介しました。 「あの商品どこ?」に新人が即答できない。この小さな困りごとの裏には、知識の属人化、販売機会の損失、外国人スタッフの戦力化といった、現場が長年抱えてきた課題が積み重なっています。声で聞けば AI がベテランの知識をスマートグラス上に AR + 音声で即答してくれる体験は、これらの課題への一つの答えになり得ると、来場者の皆様の反応を通じて実感しました。 そして、この体験を支える技術は決して特別なものではありません。Amazon Nova 2 Sonic と Amazon Bedrock AgentCore Gateway を中心としたマネージドサービスの組み合わせで構成しており、既存の業務システムをツールとして接続すれば、同様の仕組みをご自身の環境でも実現できます。 「手が塞がっている現場での情報アクセス」は、小売・飲食に限らず、製造、物流、医療、ホスピタリティなど多くの業界に共通する課題です。本記事が、現場業務への音声 AI エージェント活用を検討されている方の参考になれば幸いです。
はじめに 10年以上前、単語を単なる記号ではなく、意味の近さを「距離」で表現する高次元ベクトルへと数値化する技術「Word2Vec」が登場しました。これが、AIの重要技術の1つである「埋め込み(Embedding)技術」が研究界で大きな注目を集める契機となりました。 その後、この技術は単語から文章、さらには画像へと適用の幅を広げ、AIは次第にそれらの「意味」を理解し始めます。類似する文章や画像を検索する精度は飛躍的に向上しましたが、当時はまだ、文章と画像を同じ尺度(共通のベクトル空間)で扱うことは困難でした。 その壁を打破したのが、2021年にOpenAIが発表した「CLIP」です。CLIPは文章と画像で共通の埋め込みを作成することに成功し、いわば両者の意味を繋ぐ「共通言語」を誕生させました。このマルチモーダル埋め込みの成功を皮切りに、現在は音声や3Dデータなど、あらゆる情報を共通の埋め込み空間で扱う研究が加速しています。 現在、製造業においてもこれらの技術は浸透しつつあります。画像埋め込みを用いた「図面類似検索」や、テキスト埋め込みを応用した「RAG(検索拡張生成)」などがその代表例です。しかし、現状では単一モーダルの活用が主流であり、マルチモーダル埋め込みの真の社会実装はまだ始まったばかりと言えるでしょう。 マルチモーダル埋め込みの研究分野での盛り上がりを鑑みれば、今後この領域が製造現場に社会実装されていくのは間違いありません。本記事では、マルチモーダル埋め込みの概要から最新の研究事例、そして製造業における活用の未来について詳しく解説します。 「埋め込み」とは? この節では、そもそも「埋め込み」「マルチモーダル埋め込み」とは何かを説明します。 「埋め込み」とは、一言で言えば「現実世界のあらゆる情報を、AIが計算しやすい『多次元空間上の座標(ベクトル)』に変換する技術」のことです。人間が言葉の意味を理解するように、コンピュータに「概念の近さ」を数値として教え込むプロセスだと考えると分かりやすいでしょう。 埋め込みを使うことで、次の3つのことを実現します。 1. 「記号」を「座標」に変える コンピュータは本来、数字しか扱えません。かつて、AIに「リンゴ」という言葉を教える際は、単に「101番」という背番号(ID)を割り振るだけでした。しかし、これでは「リンゴ」と「ナシ」が似ているという意味のつながりを計算できません。 埋め込み技術は、エンコーダーを使い、例えば「リンゴ」を [0.12, -0.54, 0.88, ...] という数百次元の数値の並び(ベクトル)に変換します。この数値は、その対象が持つ「甘み」「赤い」「果物」といった無数の特徴を凝縮した地図上の座標のようなものです。 2. 「近さ」で意味を測る データが座標(ベクトル)になると、データ同士の「距離」を計算できるようになります。 意味が似ているもの: 空間上で近くに配置される(例:「犬」と「猫」) 意味が異なるもの: 空間上で遠くに配置される(例:「犬」と「数学」) 3. 多様なデータを一箇所に集める(マルチモーダル) 最新の埋め込み技術の凄さは、テキストだけでなく、画像、音声、センサーデータまでも同じ空間に並べられる点にあります。 例えば図1のように、「犬が走っている」というテキスト、ゴールデンレトリバーの画像、「ワンワン!」という鳴き声、そして走る犬の動画。これらは入り口こそバラバラですが、それぞれの専用エンコーダーによって「ベクトル(数値の並び)」へと変換されます。 変換されたデータは、多次元の「埋め込み空間」の中に配置されます。この空間の最大の特徴は、「意味が似ているものほど、近くに配置される」という性質です。この例では、データ形式が違っていてもすべて「犬」という同一のコンセプトに関連しているため、AIの頭の中(空間)では同じエリアにギュッと集まります。 これにより、AIはデータ形式の壁を越えて、「これは『犬』という本質的な概念だ」と一貫して捉えることが可能になるのです。 図1 マルチモーダル組み込み 犬の例 埋め込みの歴史 埋め込み技術は、わずか10年余りの間に驚くべき進化を遂げてきました。ここでは、その進化の道筋を象徴する3つのマイルストーンを紹介します。「単語だけ」から始まった技術が、「画像と言葉の融合」を経て、「3Dシーンの丸ごとアライメント」へと到達する物語です。 Word2Vec ── 言葉に「座標」を与えた原点 Mikolov et al., 2013 2013年、Googleの研究チームが発表したWord2Vecは、「言葉の意味を計算できるようにした」という点で、自然言語処理の歴史を塗り替えました。 それまでの限界:One-hotベクトル Word2Vec以前、コンピュータに単語を教える方法は非常に素朴でした。「One-hotベクトル」と呼ばれる方式では、語彙数と同じ長さのベクトルを用意し、該当する単語の位置だけを「1」、残りをすべて「0」にします。 例えば語彙が5万語あれば、「リンゴ」は5万次元のベクトルの中で、たった1箇所だけ「1」が立っている状態です。この方式には2つの致命的な欠陥がありました。 次元の呪い: 語彙が増えるほどベクトルが膨大かつ疎(スカスカ)になり、計算効率が極めて悪い。 意味の不在: 「リンゴ」と「ナシ」のベクトルは完全に直交しており、距離を測っても「近い」とも「遠い」とも言えない。つまり、意味の類似度が一切計算できない。 Word2Vecの発想の転換 Word2Vecは、この問題をシンプルかつ強力なアイデアで解決しました。「ある単語の意味は、その周囲に出現する単語によって決まる」という言語学の仮説(分布仮説)に基づき、大量のテキストから単語の「使われ方のパターン」を学習したのです。 具体的には、ニューラルネットワークに以下の2つのタスクのいずれかを解かせます。 CBOW: 「昨日 ___ を食べた」→ 空欄に入る単語を、周囲の文脈から予測する。 Skip-gram: 「リンゴ」という単語から、その周囲に出現しやすい単語(「食べた」「赤い」「果物」など)を予測する。 このタスクを何億もの文章で繰り返すことで、各単語は数百次元の密なベクトル(分散表現)へと圧縮されます。「リンゴ」と「ナシ」は似た文脈で使われるため、自然と空間上で近くに配置されるのです。 なぜ衝撃的だったのか Word2Vecが世界を驚かせたのは、学習されたベクトルが「意味の足し算・引き算」を可能にしたことです。 「王様」−「男」+「女」=「女王」 この計算が成立するということは、ベクトル空間の中に「性別」「階層」といった意味の軸が自然に形成されていることを意味します。人間が明示的に教えたわけではなく、AIが大量のテキストから自ら意味構造を発見した ── この事実は、後の埋め込み技術すべての出発点となりました。 CLIP ── 画像と言葉の壁を壊した転換点 Radford et al., 2021 Word2Vecが「単語同士の距離」を測れるようにしたのに対し、2021年にOpenAIが発表したCLIP(Contrastive Language-Image Pre-training)は、さらに大胆な問いに挑みました。「画像と言葉の距離を測ることはできないか?」── CLIPの答えは、驚くほどシンプルでした。 4億枚の「画像+キャプション」で学ぶ CLIPは、画像用とテキスト用の2つの独立したエンコーダーを備えています。学習に使ったのは、インターネットから収集した4億セットの「画像とキャプションのペア」。この膨大なデータを使い、以下のルールでベクトル空間を鍛え上げます。 正しいペアは近づける: 犬の画像と「走る犬」というキャプション → ベクトルを空間上で近くに配置。 無関係なペアは遠ざける: 犬の画像と「青い車」というキャプション → ベクトルを空間上で引き離す。 これが「対照学習(Contrastive Learning)」です。正解と不正解を対比させながら空間を整えていくことで、画像とテキストが同じ座標系で「意味的に比較可能」になります。 「見たことがないもの」を理解できる CLIPの最も画期的な特徴は、「Zero-shot性能」と呼ばれる能力です。従来の画像認識モデルは、「犬」「猫」「車」などのラベルを事前に教え込む必要がありました。学習していないカテゴリは認識できません。 CLIPは違います。ラベルではなく「言語の概念そのもの」を学習しているため、一度も見たことがない物体でも、テキストで説明すれば識別できます。例えば「三角形の赤い標識」と入力すれば、学習データに含まれていなくても該当する画像を見つけ出せるのです。 この「データ形式を超えた意味の理解」こそ、マルチモーダル埋め込みの幕開けでした。 CrossOver ── 3Dシーンを丸ごと対応づける最前線 Sarkar et al., 2025 (CVPR 2025 Highlight) CLIPが画像とテキストの2つのモダリティを結びつけたのに対し、2025年にコンピュータビジョンの最高峰学会CVPR 2025でハイライト論文に選ばれたCrossOverは、さらに多くのモダリティへと対象を広げました。RGB画像、点群(Point Cloud)、CADメッシュモデル、フロアプラン、テキスト── これら5種類ものデータを1つの共通空間にまとめ上げ、3Dシーン全体をモダリティ横断で対応づける(アライメントする)フレームワークです。 従来手法の限界:「完璧なデータ」がないと動かない これまでの3Dマルチモーダル学習には、大きな制約がありました。「椅子」「テーブル」といったオブジェクト単位で厳密にラベルを付けたアノテーションが必要で、しかも全てのモダリティ(画像・点群・CADなど)が揃っていなければ学習できなかったのです。 しかし現実のAR/VRやロボティクス、建設モニタリングといった現場では、そんな理想的なデータが揃うことはほとんどありません。ある部屋は3Dスキャンデータしかない、別の部屋はCAD図面と写真だけ ── こうした「歯抜け」のデータが当たり前です。 CrossOverの3つの工夫 CrossOverは、3つの工夫でこの「現実の壁」を突破しました。 1つ目は、 「シーンまるごと」で対応づける こと。従来はオブジェクト1つ1つに丁寧なラベルを貼る必要がありましたが、CrossOverは「部屋全体」「フロア全体」といったシーン単位で異なるモダリティを結びつけます。いわば、家具を1個ずつ辞書登録するのではなく、部屋全体の写真を1枚見せて「ここにあるもの全部まとめて覚えて」と教えるようなイメージです。 2つ目は、 データが歯抜けでも学習できる こと。5種類全てのデータが揃っている必要はありません。「この部屋は点群とテキストしかない」「あの部屋はRGB画像とCADだけ」── そんな不完全なデータでも、手持ちのモダリティだけで埋め込みを計算し、学習に組み込めます。 3つ目は、 段階的に賢くなる学習戦略 です。各モダリティに専用のエンコーダを用意し、最初は少ないデータの組み合わせから始めて、徐々に複雑な組み合わせへと学習を積み上げていきます。完璧なデータを待たずに、今あるデータから着実に知識を蓄積できるのです。 何ができるようになるのか CrossOverにより、データの形式を飛び越えた3D検索・解析が現実のものになります。 例えば、フロアプラン(間取り図)を検索クエリとして入力すれば、対応する3D点群データが検索結果として返ってくる。逆に、点群データから対応するフロアプランやCADモデルを見つけ出すことも可能です。さらに、明示的に学習していないモダリティの組み合わせ(例:フロアプラン ↔ テキスト)でも検索が機能する「創発的な汎化能力」が確認されています。 これはまさに、製造業や建築業が待ち望んでいた技術です。次の章では、この技術が製造現場でどのように活用されていくのかを具体的に見ていきます。 製造業における活用の未来 ここまで紹介してきたマルチモーダル埋め込み技術は、あくまで「要素技術」です。では、この技術が製造業の現場に入ると何が変わるのか? ── ここからは、最も実用化が近い「検索」の応用領域を見ていきます。 検索 ── 「探し方」が根本から変わる 製造業には、長年にわたって蓄積された膨大な図面・3Dデータ・仕様書が眠っています。しかし、その多くはファイル名や管理番号といった「メタデータ」でしか検索できません。番号を忘れたら最後、必要なデータにたどり着けない ── そんな経験のある方も多いのではないでしょうか。 マルチモーダル埋め込み技術は、この「探し方」を根本から変えます。データの本質的な「意味(特徴)」がベクトル化されることで、メタデータに頼らない、3つの新しい検索が可能になります。 クロスモーダル検索:形状で図面を探す 「データ形式の壁」を越える検索です。 設計担当者が、過去の類似製品の仕上がりを確認したい場面を想像してください。従来は管理番号を手がかりに過去資料を探し回る必要がありましたが、マルチモーダル埋め込みを使えば、開発中の3D CADデータをそのまま検索クエリとして入力するだけで済みます。AIが埋め込み空間上で「形状的・構造的に近い」過去の製品図面(画像)を瞬時に見つけ出してくれるのです。 管理番号が不明な古い部品でも、形状さえあれば「過去の類似品」を紐付けられる。これだけでも、設計の初期段階で過去の知見を活かしやすくなります。 マルチモーダル検索:「画像+テキスト」で絞り込む 1つのモダリティでは足りない場面に効く検索です。 例えば、「このフランジ(画像)と同じ形状で、かつ材質がステンレス(テキスト)のもの」を探したいとします。画像だけでは材質まで判別できませんし、テキストだけでは形状の微妙な違いを表現しきれません。 マルチモーダル検索では、画像の「視覚的な特徴ベクトル」とテキストの「仕様的な特徴ベクトル」を掛け合わせることで(ベクトル加算など)、両方の条件を満たすデータをピンポイントで特定できます。材質、硬度、耐熱性── 画像では見えない情報を言葉で補足することで、検索精度が格段に上がるのです。 AIチャット検索:現場の言葉でデータを引き出す 対話型インターフェースを介した検索です。 現場の作業員がタブレットに向かって「先週のライン停止時に、ベアリング付近を撮影した写真を見せて」と話しかける。あるいは「この3Dモデルの、取付穴が5つあるバリエーションをリストアップして」と指示を出す。── ユーザーの発話がテキストベクトルに変換され、データベース内の画像・3Dデータのベクトルと直接照合されることで、こうした自然な対話での検索が実現します。 複雑な検索コマンドを覚える必要はありません。専門知識がなくても「現場の言葉」で必要な技術資産にアクセスできるようになる点が、現場への浸透を考えると最大の強みです。 おわりに 本記事では、埋め込み技術の進化を「単語だけ」のWord2Vecから、「画像と言葉」を結んだCLIP、そして「3Dシーンを丸ごと対応づける」CrossOverへとたどりました。この10年余りで、AIが「意味」を捉える範囲は劇的に広がっています。 製造業にとって、この技術が意味するのは「データの探し方の根本的な変化」です。ファイル名や管理番号に頼っていた検索は、形状やテキストの「意味」で直接つながるようになります。ベテラン設計者の頭の中にしかなかった「あの時似たようなものを作った」という経験知は、埋め込み空間を通じて組織全体で共有できるデジタル資産へと変わります。 現時点では、製造業でのマルチモーダル埋め込みの社会実装はまだ始まったばかりです。しかし、研究の進展を見れば、この技術が現場に届くのは時間の問題でしょう。「形」と「言葉」の境界が消えたとき、製造業のデータ活用は新しいステージに入ります。 仲間を募集しています! キャディ株式会社では、本記事で紹介したマルチモーダル埋め込み技術をはじめ、AIモデル開発に全力で取り組み、ミッション「モノづくり産業のポテンシャルを解放する」の実現を目指しています。 この記事を読んで「自分ならこう解決する」「この技術、面白そう」と感じたエンジニアの方、ぜひご応募お待ちしております! 詳細は以下の採用ページからご覧いただけます! 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はじめに こんにちは。Developer Engagementブロックの @wiroha です。3月23日(月)に、ZOZOにて中高生女子を対象とした体験イベント「 ZOZOTOWN・WEARを支える技術と働き方を知ろう! 」を開催しました。 これは 公益財団法人山田進太郎D&I財団 が実施する「 Girls Meet STEM 」プログラムの一環です。中高生女子がSTEM(科学・技術・工学・数学)分野で働く人やSTEM分野で学ぶ学生、実際の現場に触れることで、将来の可能性を広げる機会を提供することを目的としています。ZOZOではこの活動の意義に共感し2024年より参画しており、今回は3度目の開催です。 今回は18名の参加者が集まり、オフィスツアー、サービス体験&技術紹介、女性エンジニアとの交流を通じて、ファッションと技術の面白さを体感しました。本記事では、当日の様子をご紹介します。 イベント概要 日時:2026年3月23日(月)13:00~15:30 会場:ZOZO西千葉本社 対象:中学1年生~高校3年生までの戸籍上または性自認が女性の方 定員:20名 www.shinfdn.org オープニング まずは会社紹介や事業紹介により、ZOZOのことを知ってもらう時間を設けました。ZOZOTOWNやWEAR by ZOZO(以下、WEAR)のサービス、計測事業などについて解説することで、この後のサービス体験&技術紹介の内容をより深く理解してもらうことを目指しました。 サービス体験&技術紹介 2つのグループにわかれ、「サービス体験&技術紹介」と「オフィスツアー」を交代で実施しました。「サービス体験&技術紹介」では、ZOZOTOWNのARメイク、フェイスカラー計測ツール「ZOZOGLASS」、WEAR by ZOZOのファッションジャンル診断を体験してもらいました。 AR技術でメイクが施された画面上の自分の顔に驚き、カラフルで見慣れないZOZOGLASSを手に取り笑顔が出るなど、ZOZOの技術を楽しんでいる様子でした。体験した後は各サービスに使用されている技術を紹介し、技術によってファッションが楽しくなることを感じてもらいました。 オフィスツアー こだわりの社屋である、西千葉本社のオフィスツアーを実施しました。メッセージが込められたアートや遊び心のある会議室、絨毯の模様や色使いの工夫など、ZOZOらしいデザインが施されたオフィス内を案内しました。クイズを交えながらの紹介で、参加者の皆さんも考えながら楽しんでいました。 昨年竣工したばかりの会議棟「ZOZOTENT(ゾゾテント)」も案内し、最新のオフィス環境を体験してもらいました。最初は緊張していた参加者も、オフィス内を歩くうちにリラックスできた様子でした。 パネルトーク 次にパネルトークを開催し、新卒1〜2年目の若手女性エンジニアから話を聞きました。学生時代の経験やエンジニアになろうと思ったきっかけ、中学・高校時代の進路選択などについて語ってもらいました。 年齢の近いエンジニアからの話は身近に感じられたようで、熱心に聞き入っていました。転学科した話もあり、タイミングに合わせて進路やキャリアを考えながら、自らアクションすることの大切さを感じてもらえたのではないでしょうか。 質問会 その後は少人数のグループに分かれて参加者からの質問に答える時間を設け、ZOZOの女性エンジニア4名が一緒にお話ししました。 Slido を活用したところ、非常にたくさんの質問が寄せられました。「ZOZOにはどんな職種がありますか?」「エンジニアに文系の人はいますか?」「就活で一番必要だと思ったスキルは何ですか?」など、学習や進路に関する質問に対してエンジニアたちが自身の経験を交えながら丁寧に答えました。 お土産 参加者の皆さんに、ZOZOオリジナルグッズなどをお土産としてお渡ししました。イベントの思い出として楽しんでもらえたら嬉しいです。今回の体験時間に入りきらなかったZOZOMATもお渡ししており、自宅で足の3Dサイズ計測を体験してもらえればと思います。 最後に 参加者の皆さんからは、次のような感想をいただきました。 文理選択のみならず、学部や職業決めの体験談を聞くことができたので、とても参考になりました。 実際に働いている方々が感じていることや、大切にしている考え方などを教えていただき、自分の視野が広がったように感じました。 施設もとても綺麗でとても楽しそうに仕事していて、私もこんなところで働きたいなと思いました。 将来の職についてたくさん不安があったのですが、悩みを沢山聞いていただけて本当に参加してよかったと思いました。 ZOZOはこれまでもさまざまな女性活躍推進のための活動に取り組んできており、今後もこうした機会を提供していきたいと考えています。本イベントにより中高生女子の皆さんがファッションと技術の面白さを感じ、将来の可能性を広げるきっかけになれば幸いです。




















